兎に角日記
三日に一度は兎に角と書いてしまう。

2002年11月01日(金) どのように物を考えるのか。

人は、物を考えるとき、どう考えているのであろうか。
一人で居るとき、頭の中、どうなってますか。

例えば、風呂掃除をしているとき
「次は、スポンジを右手に取り、左手にバスマジックりんを構え…いやいやその前に吹き付けて垢を浮かせておくと良いのであった」
などと考えている人は居そうでいないと思う。
ほぼ無意識にできる事だから。
というわけで、人は何を思いつつ風呂掃除をするかというと、
「これが終わったら洗濯をして、布団も干して…あ、その前に鉢植えに水をやらなくっちゃ☆」
的なことを考えているのかもしれない。

人の考える事故、上記のものは全く小説風に想像しただけのはなしで、風呂掃除している人間全般がその思考だったら、それはちょっと、クローンじみてて怖い。
いや…マテヨ……風呂掃除をしているときは風呂掃除の事だけを考えるのが普通なのかな。
「カランとバスタブの間のカビが気になる。割り箸に布を巻いて取ろう。床のタイルは二度磨き、プラスチック椅子から湯垢が取れているかどうかは、しっかり確認せねば」
とか考えているのかもしれない。これはちょっとA型思考過ぎて大袈裟だけれど、そういうことを考えなければ、きっと風呂は綺麗にならないんだから当たり前の事だな。

****
というような事を、先程風呂掃除をしつつ考えていた。
私の場合は、起きている時間の間、大体において、思考が「日記調」である。
「〜だな」「〜だよな」をつかっていて、まさにこの日記そのものの言葉で考え事をしている。
みんなは、どうなんだろう。
漫画のフキダシみたいなのを想像しつつ、考え事をしているのか。
それとも…

もう一つ、考え事の方法がある。自分や、その場に応じた「誰か」に語りかけるというものである。

私:「上記のような事を考えてみたんだが、どう思う?」
誰か:「日記に書いたら面白いかもね。筋道立てて覚えておいて、夜書くときに忘れないように」
私:「忘れそうだ。思えば幾度もこのネタを日記に使おうと思って忘れていたんだ」
誰か:「ていうか、風呂掃除してる時にそんなこと考えてないで、足元濡れてるんだから、そのまま台所に行こうとするなよな」

…分ります? 意味。

古館伊知郎が、昔「山手線に乗りながら窓の外を流れる風景全てに実況を施す訓練をした」という話を聞いたことがあります。
私の場合は、実況ではなく、…え〜なんと表現していいものか…。
「一日中誰かとの会話か、日記を書くことを想定・予想しながら動いているらしい」

何か考え事をするとき、頭の中に「だれか」が居る事が多いのだ。
断っておくが、電波じゃないゾ。

誰かを想定しているだけあって、『誰か』になりきった何ものかが答えているのである。例えばそれが東京怪談に出てくるPCさんであることも、ある。
書いている間、常に頭のなかに居る成果、会話しやすくなっているのだ。
たとえばそれが、草間武彦であるとしよう。

私:「…というようなことを考えているのだということを。日記に書こうと思うんだがどうよ?」
草間:「それはいいが、やり過ぎないようにすることだな」
私:「なんで」
突然碇女史:「そんなの決まってるでしょう。変な人間に思われるからよ」
私:「…ヘンな人か…ヒトはどれくらい行ったら変な人と思われるのであろうか」
草間:「変人と呼ばれるのは、余り嬉しい事じゃないな」
私:「微妙にやはり、嬉しくはないね。関西じゃ「ヘン」は褒め言葉って意見もあるけど、地味に生きのが一番良い」
草間:「関西人でもなしな」
私:「この時点でもう、妄想ショーの達人だと思われているだろうか。でもここで言いたいのは、物を考えるとき、他人の頭の中は一体どうなっているのだろうというのを、知りたいって事で」
草間:「それで、とりあえずは自分の思考回路、思考の仕方を紹介というわけか」
私:「あ〜それそれ」

こういう風に考え事をしている。ずーっと。ちゃんと地の文さえ付いてくることもある。
そのうち草間さんはどこぞへ行ってしまい、現実の肉親であるとか、友人であるとかに相手はコロコロ代わる。
その時の考え事に一番適した人物が出てくるらしい。
「この人だったらこう答えるだろう」
というのを常に想像しながら、考えているという感じか。

(ここで言っておきたいのは、「『誰か』はあくまでも、考えを纏めるための話し相手として頭の中に存在する」という事だから、頭の中の誰かに、
「草間さんは変人って言われるの好き?」とか「碇さんは風呂掃除できる?」とか聞く事はない。
それは本当に妄想というか、夢見る乙女が好きな人と一緒に居るときのことをあれこれ想像するのに似ている。
「はい、あ〜ん☆ 玉子焼き、美味しい? な〜んちゃって♪」
この流れだ。
こんなことは、創作のネタを捻る段階にならないと、やらない。彼等を他人と見て、違う想像力を使う事になるからだ。 しかももっと突っ込んで言うと、これもまた微妙に違う。)


結局、相手を想定した会話調の考え事、とはいえ実際は私の一部が別人格のフリして、冷静な判断を下したり、程よいツッコミを返してきているのではあるが…。「相手」は『自分の一部』であって、そうでもない。時には自分でも驚くような返事を返してくるので、妙な感じがする。

…こう書いて文字にしてみると、なんだかホントに怖いヒトである。ウヒー。
本当に、危ない人じゃないからね。


ともあれ、「会話調」「日記調」で物事を考える人は、結構居るような気がするんだが、どうだろう。そしてそのほかにも方法があるだろうか。
機会があったら、皆さんにも尋ねてみたい。

では、また明日。


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