去年の今頃 - 2003年04月15日(火) 去年の今頃、彼がとても大変そうだった。 壊れてしまうんじゃないかと、死ぬんじゃないかと思ってしまった。 それで、人と暮らすなんて無理だと分かっていたのに、自分ちに呼んでしまった。 結果、3ヶ月の間に2回も交通事故を起こした。 一つは完全に私の不注意で、もう一つは、運が悪かったって感じだったんだけどさ。 私は体に何の症状も出ないけれど、 事故を起こしたり、失敗したり、物を無くしたりと言う現象が増える。 誰もそれがしんどいからだなんて、思わないような形にでしか、症状は出ない。 ま、交通事故を起こした原因と彼が関係ある訳じゃないけれどさ。 今、私がとてもしんどくて。 止めておけばいいのに、つい電話してしまう。 そして彼と話をするたびに。 話せる内容が減っていく。 しんどくて電話した私が、なぜ彼をなだめなきゃならんのだ? 彼も去年の今頃と別の意味で、しんどい時だと分かっているけれど。 彼だって自分のことで必死だと分かっているけれど。 彼の方が甘えろと、話せと言うけれど。 話した結果、余計しんどくなることを繰り返せば、二度としゃべるもんかと思うもんじゃない? それと今になって思えば。 去年の今頃。 放っておいたところで、彼は逞しく生きていたことだろう。 こんな状態の私にでも、彼は甘えることができるんだから。 というより。 私の状態を彼に分かれってことが、無理なことなのかな。 うらやましいやねぇ。 気を遣って話さないといけないくらいなら。 言葉使いやら話す内容に神経遣わないといけないくらいなら。 ない方が楽だ。 淋しくてもね。 私もそこまで余裕がない。 もう感情を持つ余裕もなくなってきていることだし。 だけどねぇ。 一度こんなふうに感じてしまっている私。 今の状態が終わったとしても、こんな状態の私にさえ、 彼ってあんなふうにできるんだと知ってしまってさ。 甘えるだの、頼るだのと、できる日が来るんだろうかねぇ。 淋しいから切ってしまうこともできずにいるけれどさ。 それ以上になることもできないんじゃないの? しんどくて話したい時に。 電話できるところは、私には、ない。 -
|
|