-殻-

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2002年03月07日(木) 道化

僕は夢をあまり見ない方だ。


たまに見たとしても、あまりいい夢は見られない。
何かに追いかけられていたり、上手くいくはずのことでしくじったり、取り返しのつかないことを気付かないうちにしてしまっていたり、とにかくいい夢は見ない。

夢は、普段のものの見方、考え方が無意識的に再現されているように思う。
いい夢を見られない僕の悲観主義がまずこの好例だ。
僕はいつも最悪の状況を考えている。
こうなったらいやだ、こうはなってはいけない、なってほしくない、
そんなことばかり考えている。
だからその「恐れ」が夢の中で現れる。

でも、その悲観的な意識によって僕の現実は救われている。
最悪の状況を夢に見ることで、現実での備えができる。
精神的にも耐性ができる。
夢の中に比べれば、現実はとても素敵で楽観的な世界だ。
底なしの悲観を自己の本質に抱えることで、僕の実存は相対的に楽観に転換される。
これは知らずに身につけた自己防衛の手段なのかも知れない。

普段あまり夢を見ないだけに、時々見る夢は僕を混乱させる。
現実との区別がつかなくなることもしばしばだ。
もちろん目が覚めればそれが夢だったことに気付くのだが、夢の中で感じるどうしようもない失望、絶望は紛れもなく僕のイドの根底から噴出している。その感覚だけは本物なのだ。だから、本気で恐い。

僕は良くも悪くも「感覚型」の人間らしい。
僕の夢はイメージで認識されていて、画像がない。
ただ「そこにある」イメージだけが夢を形作っている。
だから他人に「こんな夢を見た」と説明することはとても難しい。
自分の中にも、確かな形として残ることはなく、ただその時感じた感情や感覚のみが脳に貼り付く。
これは映像的な認識として記憶するよりも余程トラウマになる。

おかしな話かも知れないが、僕は自分の見る夢でトラウマを受けるのだ。
つまり、自分の悲観が自分にトラウマを植え付けるのだ。

自分を守るために無意識にこういう作業をしているのだろうが、これは僕の神経を著しく消耗する。
実存を救うために本質を削り続ける、悲しい道化師のひとり遊びのようなものだ。

しかしよくよく考えてみれば、誰でも多かれ少なかれ自分を守るための手段を持っている。
僕の場合はたまたまそれが「相対化」だったに過ぎない。
夢の力を借りて、僕は自分を相対化する。
他者とではなく、閉じた自己の系内で意識を楽観に導くために、最悪の状況にある自分を想定することでそれを避ける術を見つける。随分とこの作業に助けられてきたことは事実で、自分にとって必要な要素であることもまた事実だ。それはよくわかっている。


が、やっぱり僕は今日も願わずにはいられない。

どうか今日は、夢を見ませんように。
何も考えないうちに、朝を迎えられますように、と。


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しんMAIL

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