diary
DiaryINDEXpastwill


2002年05月14日(火) お粗末なトップチームのしらけた勝利

えーと、なんかえらくエキサイトしてるお題ですが、その本題に入る前に、レボに来ていただいた方々、お疲れ様&本当に有難う御座いました!今回も無事に在庫が残る事もなくイベントを終えられたのは、ひとえに皆様のご支持があったればこそです。いつも会場前には「どうしよう、ファンの人たちに受け入れてもらえる作品になってるんやろかなー、あーもーどうしよー!」などと病気のようにビクついているので、終わったあとには、「ありがたいなあ、クオリティ的にはほんとになあもっと頑張らないといかんのにそれでも来てもらえてありがたいなあ・・」等とつくづく思います。そうであるならば、その気持ちを忘れずにゲームの時間を減らせば、もっと良いものを読んでもらえるという事をもっと考える必要があります。頑張らねば。

さて、イベントの終わった日曜の夜にF1オーストリアGPがありましたが、見た人はどう思われたでしょう?自分は思いっきりしらけました。

ポールポジションを取って、ずっとトップを走っていたバリチェロにシューマッハに「勝ちを譲れ」と指示し彼が最終コーナーで減速した瞬間のオーストリアの観客(事実上シューマッハの地元なのに)のブーイングはその場にいたもの全ての偽らざる心境だったに違いありません。これがシーズン終盤のランキング争いの拮抗した状況ならいざ知らず、いまだシーズン半ばにして、ダントツ首位のシューマッハに勝ちを譲ると言う行為。これはフェラーリと言うチームと、シューマッハ(この場合たとえ彼に意思がなくても同罪)がファンである我々に対して「バリチェロはF1シリーズを戦うドライバーではなく、自分達のために働く奴隷なんだよ」と言っているように見えました。

事の是非自体は、賛否両論あるでしょう。「仕事としてプロに徹した」と言えば聞こえは良いですし、「フェラーリは本当の意味で奇麗事のない徹頭徹尾がプロだからああしたのだ。ルール違反でもない、チームとして正しい事をやったのだ」という解釈も成り立たないわけではないし、そういう理念事態も否定はしません。
「悔しければもっと強くなれば良いのだ」と言うのは競争社会では当然の事です。

しかし、プロであるならばこのレースが公の大観衆の場でファンにどんな影響をもたらすかも考えて欲しいものです。僕はあれで今年これ以降F1を見るのがかなりアホらしくなりました。あの時点でのランキング、チームの状況で最終ラップでいきなり「シューマッハに勝ちを譲れ」等と言うのは、他者に対する礼を知らない傍若無人な態度で家来を従える暴君にしか見えませんでした。ルール的には問題無いにしても、道義的には余りにも観衆を馬鹿にしています。F1に権威がある、フェラーリに伝統があると言っても、所詮はそれを見る人間に達によって自分達が生かされていると言う意識と謙虚さのの欠落は明らかで、そんな事もわかっていない野暮臭くて脂ぎった鈍い感覚しか持てない癖に、洗練と精鋭の集団を装う薄ら寒いチームがこれからも同じような事をするならば、そんなものを見て喜ぶ感覚は自分にはありません。フェラーリがチームオーダーを「やむおえない最後の手段」と考えないような下品なチームでい続け無い事を願うばかりです。

ほんと、こんな事が道義的にOkになってしまったなら、F1には夢もドラマも幻想もない無味乾燥な殺伐とした世界に成り下がる訳で、いったいそんなものを誰が喜んでみると言うのでしょう。それこそF1の終焉を招いても仕方の無い事だという事をあのチームは考えた方が良いのではないでしょうか。




ROS |HomePage