散書
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2009年05月25日(月) 蒙昧、霧中

予測された過失の見落とし。


なんか、こー。この頃、インプットを怠っていたというか後回しにしすぎていたので、久方振りに積んでいた本を崩したのですが。
タイミング、見誤ったなあ。
一日ずらしておけば、水曜は休日だから、夜更かししてでも、気が済むまで衝動的に筆を走らせることもできたのですが。
っても、テキストエディタによるPC上での執筆ですけど。
思いつくままに色々と書き殴りたいのですが、すでに、寝なければ明日の仕事に差し障る時間を回っています。
前触れのようなものもありました。
今月はちょっとコミティア行ったり下の弟の誕生日プレゼントで奮発したりと、金銭的に心許なかったところでようやく迎えた給料日でしたので、郵便局に下ろしに行った帰り、毎月給料日、そういう儀式のように立ち寄る本屋で、気になる本があったので、普段の数倍の時間をかけて立ち読みしてみたり。
そういったところもあって、ちょっと自分の小説に対する姿勢を考え直してみたくなったりした次第。
それは別に、書き方を大きく変えようとかそういうことではなく、体感的なものを繋ぎ合わせてなんとか言葉にできる程度に方法化した自分のスタンスを、もっと突き詰められないだろうか、ということで。
見直してみれば、もっと埋められる隙間が、俺の書き方に見つけられるのではないかと、そんなことを思ったのでした。
何分、俺の周りには、他に小説を書こうという人がいません。ですので、方法論について話し合いたくとも、俺のやり方の穴を指摘してくれる人がいず、どうにもこの我流の書き方が、霧の中でとにかく手を伸ばして触れたものを無理矢理継ぎ合わせて作った、奇矯な奇形のオブジェのように思えたのです。
そのこと自体は、正直、どうでもいいです。絵を描いてみて、あとで見返したらなんか歪だってことは、今までいくらでもありました。むしろ、絵は人間が見ることにもっとも向いている二次元での情報です。見ておかしなところを直せばいいのだから、これは考えようによっては、あらゆる創作行為の中で、最も簡単な部類にあるのではないかとすら思えます。まあ、シンプルなものほど難しいのですけど。
そこを行くと、文字列による表現である小説は、読み手に対し、インプットした文字列をまず情報化し、それを情景化することで理解することを求めます。その段階において、相手の脳に、どれだけ理解のためのストレスを強いるのかは、あるいは、きちんと理解させることができるのかは、書き手の力量にすべてがかかっているといっても過言ではないわけです。
なんつーか、その辺、わかってはいたけれど、意識が足りなかったかな、という気がします。
これを自分で言うのもなんですが、物語を組み立てる能力自体には、自分では不足はないと思っています。不遜です。承知の上ですが、根拠なんてなくても、どんなことでもある程度の自信を持っていないと、足踏みするだけで前に進めなかったり、いざというときに判断力を支える平静を失って失敗するだけだというのが俺の持論なので、敢えて自分で言ってしまいます。自分の物語の構築力には、概ね問題ないと思います。少し弱気な表現にしてみたのはご愛嬌。
とまれ、そうなってくると、必要となるのは、まずはこの、相手の脳にかかるストレスを小さくする技術です。いかにコンピュータの負荷を抑えたプログラムを組むか、ということに似ているかもしれません。
文意が伝わらなければ、読み手はエラーを返す代わりに本を放り出すでしょう。読み下しづらい、情景を頭で描きづらい表現なら、良くても読み飛ばされ、悪ければ、やっぱり本を放り出されるでしょう。読んで欲しいなら、物語を紡ぐ以前に、読んで欲しいなりの文章の書き方というものがあるはずです。
大仰なことを書いているようですが、かなり今更な問題です。むしろ、今までこれが頭から飛んでいたことに、自分でびっくりです。
ただ。
たとえ奇矯で奇妙なオブジェでも、それは自分なりの努力と考察と反省とで積み重ねてきたものです。全部放り出す気は起きません。それに、どんな方法論だって、公開されて踏襲されるまでは、誰の物だって我流です。模倣されないから失敗作だという道理はありません。なら、どこがおかしいのかを見直し、手を入れてやればいいだけの話です。前衛的であるということが悪いことかというと、そんなことはまったくないわけで。
ということを、一晩でもかけてやりたい気分なのですが。やはり、一応は社会人たる身。お仕事をおろそかにするわけには参りません。
愚考と言われようが、愚慮の積み重ねのような思索でも、続けないわけには行かないし、やめる気もありません。
というわけで、続きは布団の中でやることにします。幸い、枕もとには手帳とペンも用意しています。創作やるなら、手帳の携帯は必須ですよね。

有用な情報は、意外と、当たり前のように目の前に転がっていたりするもので。
よく利く目が欲しいところです。


長いわりには、意味の薄い雑記だ。


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