散書
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| 2008年10月02日(木) |
考察、というほどのものではないが |
ふと、物思う。
流行りものに流されて、自分の好きなもの、と、周りに受けるもの、の違いがどうやらわからなくなっているらしい絵描きというのは、殊の外、多い。ように見受けられる。その一方で、流行もの追いかけて人気取りをするばかりで、自分の好きなものを自分で見定められなくなっているように見える絵師も、もっと多い。 そういうふうにはなりたくないなあ、と思って、自分の好きなものを追いかけ、流行を無視していると、一転、見てもらえない絵師になってしまう。一過性の流行に溺れてる馬鹿に見てもらえなくても困らないしな、という考え方でいると、今度は自分の枠を狭めてしまう。だから流行りものに目を向けようと思っても、琴線に響くものがなければ、数ある作品も、焼却場のゴミに等しい。 絵師たろうとする者にとって困るのは。オタク産業という、新興ジャンルの企業によって、とにかく作品やキャラクター、作家を消耗品化し、流行の波で、どんどんと古い作品を押し流し、新しいものに目移りさせることで金を落とさせようとする商法が定着していることだろう。これにより、ユーザーは、作品やキャラクター、作家に対しての愛着を得る前に目の前のものをすり替えすり替えされるので、それが好きかどうかを判断する間もなく、流れ作業の一環として作品を見ることしかできなくなる。ベルトコンベアーの作業のような流れ。企業によって、ユーザーは、工場の機械のように、こうするべきという意識を恣意的に植えつけられてしまう。そうすることで、ただ流れ作業の一環として、新しい作品に金を落とすだけの機械と化してしまう。 新規の作品が質の高低を問わず乱立するので、使い捨ての作家を何人か用意して、何作品か乱発していけば、概ね間断なく、いずれかの作品に、小銭か大枚かのいずれかを埋め込む機械が適合し続ける。そして、適合する機械が少ない作品を作る作家は、使い捨てなので、あっさりと切り捨てられていく。だから、商業(=プロ)で作品を作ろうと思う作家は、否応なく、自分の好みよりも流行を追いかけることを選ばざるを得なくなる。結果、店の棚に並ぶ作品はどれを見ても同じようにしか見えず、楽しめる作品は姿を消し、面白い作品=傑出した作品、という、歪んだ市場構造に落ち着く。 現在の『創作』の市場は、そういった造りになっている。ように見える。むしろ、そのようにしか見えない。 論旨からは脱線するけど、まあ、そういう創り手にはなりたくないなあというか。こういう使い捨て市場っていつまで続くんだろうというか、いい加減に買い手側も目を覚ませよというか。 自分が好きでHPの更新とか追いかけてる絵描きさんが、自分の好きなキャラを描いてくれるのは嬉しいけど、そのキャラがたまたま流行ジャンルのキャラだったりすると、すっごく複雑な気分になっていまいち喜べないのがなんつーのか、こう、据わりが悪い。まして、それでエロ絵とか描かれた日には、取り敢えず有事に備えて手製の釘バットでも用意しようかというような気分になる。 まあ、具体的に言えば、東方ジャンルなんですけどね。一応は紅魔郷からのユーザーなので、PC98時代からの人をを除けば古参組のユーザーだと思うのですけど。なんか、最近の東方の加熱っぷりは、ZUNさんには失礼ですが、異常としか俺の目には映りません。なので、いろんな人の東方キャラが見られるのは嬉しい反面、とてもげんなりすることも多いのです。 まあ、本当に使い捨ての風潮に乗っかってるだけの人には、そろそろ飽きられるだろうから、沈静化するのを心待ちにしているのですけどね。 個人的には、流行ものはさくっと無視する。というのが最も妥当な対処だと思っています。
そう考えると、初音ミクによるボーカロイドフィーバーは、浄化が早くて良かったなあ。
己の間抜けさが片腹痛い。 どうやら、素で日付を一日間違っていたらしく、とりあえずさくっと修正。 まあ、なんだ。 日付変更線付近で日記を書くときは注意ですね。
さて。投稿上限文字数にちゃんと収まってるだろうか。
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