散書
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2008年02月20日(水) 言葉遊び

つらつらと考え始めると、哲学的になる。


時間が足りない。
一日のうち、労働時間と通勤時間、睡眠時間は削れない。他にも、食事とか排泄とか、細々と削れない時間も。それらを差っ引くと、一日二十四時間のうち、自由時間は一日四時間程度しか残らない計算。単純計算、順に、9(残業とか考えると10)+1(天候や交通状況で最大2)+6+エトセトラエトセトラ。この計算だけだと8から6時間は残るけど、いちいちカウントするのも馬鹿馬鹿しい細かい用事を数えると、軽く二時間は飛ぶ。
ちなみに、eonetを使ってる俺は、メールチェックするたびに、不要メールの振り分けだけで、軽く一時間以上飛ぶ。
真面目に考えてみると、真面目に生きることが凄く馬鹿馬鹿しくなる数字です。
残った自由時間を少しでも使うため、頑張って早く動いたとして、ビデオじゃあるまいし二倍三倍なんて速度で動けるわけもないから、引き延ばせて、せいぜい一割り増し程度。先に挙げた計算の結果でこの数字を参照して、7.7から5.5時間が、一日で使える時間の限度。
と。
ぐだぐだと並べ立ててなにが言いたいのか、というと、実は結論は最初からふたつ目くらいで出てる。
それでもざっくり5時間くらい残ってるのに、なんでこんなになにもできないくらいに時間の使い方がヘタかなあ俺は。というのが結論。でもまあ、この疑問にも、簡単な答は用意されてるわけで。
貧乏人が、どれだけ働いても裕福にはなれないように、時間のない人間がどれだけ頑張ったところで、足りない時間は挽回できないという現実がそこにあるわけです。
といういいわけをしているから、いつまで経っても現状から脱出できない。
でも、誰にも一日は二十四時間って、平等なようで不公平だよな。時間を使うような用事や趣味がないやつにも、いくら時間があっても足りないくらい色々やってるやつにも、おんなじ時間って、絶対に不公平だと思うんだ。でも、それが世の中ってモノかもしれないね。残念だけど。

というわけで、今日もなにもできないまま寝るとします。


トリックスター、クライアントのアップデートだけはしてるんですけどね。


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