散書
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| 2006年08月02日(水) |
生きるため、食事や睡眠よりも必要なもの |
心の糧。
あー。 呆けるくらいに満足感。 なんといいますか。しばらく前に買っておいて、読む時間を作れずにそのまま積んでいた小説を読んだのですが。 久し振りに、充足感のようなものを感じています。喩えるならば、美味しいものを腹いっぱいに食べたあとの満足感のような。 というわけで、““文学少女”と死にたがりの道化”を読んだのでした。 面白いお話、というのは今までいくらでも読んだのですが、ここまでスケールが大きくて重量感のあるお話は久し振りでした。 スケール、てのは、別にお話が長大だ、てことではないのです。ひとつのお話にいくつかのピースが詰め込まれていて、それが一般的なお話なら何話かにわけるところだってくらいのボリュームで、それをひとつに凝縮してるから密度があるという感じというかそれってスケールとは違うよねという気も今になってしてきましたが、まあそんな感じ。 まあそんな感じですので、かなり据わりの悪い未解決の断片もいくつかあったのですけど、あとがきによれば実はこれシリーズものだとかで。実に続きが気になります。
まあ本の帯にも書いてあることで、ネタばれ気にしなくてもいいことみたいなので書いてしまいますが。 物語のヒロインが、実際に本を食べるという、主人公からは妖怪呼ばわり(コミュニケーション上での冗談で、ですが)されている女の子でして。 心の糧を本を読むことで得る我々よりも、彼女はもっと直接的なアプローチで物語を摂取しているのです。 けれど物語を読んで心の糧を得るという意味において、物語を「食べる」というのは、この上なく適した比喩であると思えるのですね。それは心の養分を取り入れるということと同義なのですから。 だから、素晴らしい物語とは美味しい料理にも似て、空腹が満たされるのにも似て心が満たされるのだと思えて。食べ物を取り入れるのが体が生きるための力を摂取することなら、物語を取り入れることは生きる気力を充足させることであり、また、他の人にとってはどうかは知りませんが、俺にとってはそれがイコール創作意欲を掻き立てることにも繋がっていて。 早い話が、心が満たされているときほど、筆を走らせたくなるわけです。あー。けど時間が時間だし、仕方ない、寝るか。別に徹夜して書いてもいいんだけど、明日はなにも用事がないから多分寝るだけ寝てしまって目が覚めたら夕方だろうし、無理矢理起きても寝不足だと頭がすっきりしなくてまともに文章書けないだろうし、寝るのが無難。と。そういう結論になってしまう自分にちょっと損した気分。けどこればっかりは仕方がない。 あー、結論としては、お奨めなので読んでみれ、と。
余談。 「心が満たされる」というのは、なにに満たされてもいいと思うのです。幸福感でも、充足感でも、あるいは喪失感でも悲壮感でも、虚無感でも。 なぜなら、それが心にあるのなら、間違いなく心はその感覚に基づいて行動を求めることができるから。後は、求められた行動を吟味して、心にある感覚を手放さないうちに実行に移せるかどうか、だけ。物語を読んで得る感動は心の活力であり、心は間違いなく、行動への指針を示すものだから。逃避でさえも、そして停滞でさえも、それは行動の一選択肢なのだから。 ただし、心が満たされているときこそが、もっとも危険なときでもあるのも否定できない話。なぜなら、自分の心がいっぱいになってしまえば、それに阻まれて、周りに目を向けることを怠ってしまうから。回りの心に、目を向けるのを忘れてしまうから。 心は自分のものだけど、自分だけのものではない――底から活力を得るのは、自分だけではないから。 だから、本というのは物語を書き留め、ずっと残ってきたのではないか。だから、本に物語を記し、残す人というのがあとを絶たないのではないか。個人的に、そう思えて。 だから、自分もそのあとに続きたいのだと、それを再認識したのでした。
長い日記だな、おい。
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