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昔、山口洋子のエッセイを読んだ。
今でもふと思い出すのが 喫茶店で誰かと一緒にお茶を飲むときに「砂糖は?」「ミルクは?」と相手に聞いたりすすめたりする行為は思いやりなのだろうか?という一文。
人によってはそれをうるさい…と感じるだろうし、すすめられたモノを断るのが苦手な人もいるだろう。話したいことが中断され不快に感じることもある。
本当の思いやりとは、 「うるさい」と感じるのでは?「断れないのでは?」「話しを中断してしまうのでは?」と相手の立場になって考える行為なのではないか。
随分昔に読んだ本なので詳細は覚えていないのだが、確か以上のような内容だったと思う。
これはあくまでも分かりやすい例え話なので必ずしも砂糖やミルクをすすめることがマナー違反だという話しではないということは私にも分かった。 今でもたまにこの一文がふと思い浮かんだりする。
そして これは思いやりの話しなのだが、私なりに次の考えが浮かぶ。
「グズグズする人は結局この思いやりがうまく出せず損をする。 でも世の中結果さえ出せばいいというものでもない。」
私はこのエッセイを思い出すたびいつもそのような考えにたどり着く。
以前旦那から聞いた話。
旦那がまだ小学生だった頃、夏休みの最初の数日間で全ての宿題を終わらせた時のことだった。 それを見た母が
「それは勉強ではない。」
と当時小学生だった旦那に言ったそうだ。 私はこの話しを聞いたとき、頭の中に山口洋子のあの一文がよぎった。 結果が全てではない。そこまでの道のりが大切なんだ。
結局相手に自分の心遣いが届かなくても、自分の中では相手を考える時間が確かにあったわけだ。 宿題をさっさと終わらせることができても、本当の学習にはなっていないわけだ。
結果さえ出せばよしとされる世の中だったら、大半の人はダメ人間ということだ。 大切なのは、そこまでの道のりだ。 相手のことを考える過程、目標を達成するまでの過程。 うまくできなかったらその経験を次に役立てよう。そうやって人間性というものは育つのではないのだろうか。
誰でもそうだと思うが、今の仕事が100%好き!!という人は少ないと思う。 この仕事を選ばなかったら今ごろ何をしているのだろう…と考えたことは一度や二度は誰しもあるはずだ。
だけど 今の自分の足場を確認するため、所々で立ち止まって考えることの方が 100%好きな仕事につくことよりずっとずっと人生に深みが出るような気がする。仕事に限らず、今の状況、今の暮らしを自分なりに立ち止まって考えることは大切なことだと思う。わき目もふらずがむしゃらに頑張ることも大切だけど、ふと立ち止まって考える。今までを振り返る。
本当はアレがやりたかったのに… と、思うようにいかずがっかりすることも多々あるが、やりたいことに向かって遠回りしてみたりぬかるみにはまったりする道のりが大切だと思う。 やりたいことが見つからないときも、とにかく一歩踏み出してみる。
どうしても何かに行き詰まったりすると、そこがすべてのように思いがちだが 実はその瞬間も通過点に過ぎないわけで、道のりの真っ最中なのだ。
結果はまだまだ人生の先にあって、今は道のりを歩んでいる途中。 どうやって道を進んできたのか、振り返ったときにしっかりと足跡が残るよう 重みのある一歩を刻みたいと思った。
(でもとりあえずこの体重は減らしたいと思った。重過ぎる。)
なんだかとっても山口洋子の一文からはずれた思考。 自分でも訳がわからん。
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