どうも!キュィ〜ンギュギュギュギュギュギュゥイィ〜ン(ギターソロ)のMAD TIGERですがいかがお過ごしでしょうか。
今日は、東京都立現代美術館でやっている「ディズニーアート展」を見に行った。
・・・ら、休館でした。
・・・・・・だって、休館日は月曜ってかいてあるヨ? ・・・昨日が敬老の日の振り替えでハッピーマンデーだったからなの? ・・そうなの? ・・・・ふーん・・・・。
で、すっげぇ凹みながら地下鉄に乗って、三越前で降りたところ、なんと本日より『佐野洋子展』をしているというポスターを発見! 佐野洋子さんは、「100万回生きたねこ」等の絵本でおなじみの絵本作家。 その原画が見られるなら、行かずにはおれまいが!!!
ということで、ぶらり途中下車の旅となった。 三越の催し物会場で佐野さんの絵と、そこに付けられた物語を読んでいく。 どことなく物悲しいものばかり。 「おれはねこだぜ」はちょっと面白かった。鯖ばっかり食べている猫が、大量の空飛ぶ鯖に追いかけられる話。 さば、ってなぁ(笑)。なんでサバなんやろうなぁ。 100万回〜のところでは、胸に迫るものがあった。 透明感のある絵柄は、絵本になってもそれが薄れることはない。 実際の原画も、透き通るような、ネコのふんわりした毛が解るものだった。 修正の白インクかと思いきや、それまで計算され、構成された絵の一部だったりと、 原画を見た後に絵本を見ると、絵の点から言えば相当の違いを感じた。 あまりにも感動したので、100万回〜のサイン入り絵本を買ってきた。エヘ!
だって、「ねこ」の風貌が、うちのモジャモジャ虎猫、虎ファルガーにそっくりなんだモン!←キモい
ちなみに、絵本「ラチとらいおん」のらいおんにも似ています。親バカですまん。 ついでに言うと、虎ファルガーにカビが生えたので、通院中です。 あの野郎、本当金のかかるヤツだぜ〜!そこが可愛いんだけど〜!!←馬鹿親
そして、16:30頃上野に到着。上野恩賜公園に入る。 本日の目的は、「ディズニーアート展」(結果;不発)と、「”こころ/夏目漱石”の旅」である。 先日作中に出て来る場所を調べまくり、そこに実際行ってやると息巻いて、本日上野へとやってきたのだ。 時間が時間なのと小雨が降ってきたため、途中で引き上げるしかないのだが、 いけるところまでは行きたいと思い、上野公園を散策。 青々と茂り、風に揺れる木立に、浮浪者が彩りを添える。 鬱蒼と茂っていて、正直これ暗がりだったら(充分薄暗かったが)相当怖いな、といった具合。 実際上野公園は「でる」ことで有名。 それ以上に、自分のイメージは「関東大震災」の時に西郷隆盛像に貼られまくった「尋ね人」のチラシとか 亡くなった人が浮く水路だとか、そういった壮絶なイメージしかない公園である。 それは、自分の愛蔵書「一億人の昭和史〜大正ー昭和の道程〜」に写真ががっつり載っている。
いろんな意味で感慨深いものを感じながら、歩く。 精養軒(三四郎で出てくる)でご飯を食べようと思ったら、フランス料理のフルコースしかないと知り、 すごすごとすぐ隣のキャフェーに入る。 そこの窓際に通してもらい、漱石も来たという「精養軒」(隣だけど)から、同じように風景を見ただろうかと 思いを馳せる。 今はネオンや、ビル群が犇めき合っているが、昔はどうだったんだろう。 もっとがらんとしていたとは思うが、何色の瓦が多かったんだろうか。 どんな建物が突出して見えたのだろうか。やっぱり目立つし僧院なのかなー、などと本気で考えながら食事。 食事は美味しかったが、店員の態度は最低だった。 今度は勇気を出して、精養軒行くぞ―――!!!
本当はそこからさらに歩いて、東大のほうへと行きたかったのだが、時間がなくて断念した。 次回行くことにする。
今回上野恩賜公園に行って思ったのは、「迷子になるわい!!」ということ。 それは別として、作品と照らし合わせて感じたのは、 「よくここを”散歩”という名目で幾度もチョイスしたなぁ」という部分だ。
作中の時代は、明治30ごろからの話である。 現在はカラオケやらゲーセンやら、『遊び』といえば即町に色々なものがあるが、当時はそこまで無かったに違いない。 それは理解しているが、それがどうして時間を潰すため、話をするための 「男同士のお散歩」になってしまうのか、それが不思議。 それは全体的な夏目漱石著書に共通して感じることである。 主人公がことごとくカタブツ。遊びを知らない。 そして、遊ぶ描写がない。 たまに海などに行くけれども、それはそれで、「旅行」で終わってしまう。 都会に戻ってくると、書かれる描写は討論、場所を変えて討論、お散歩で討論、おうちで討論、人の家で討論、とにかく討論まみれ。 いかに夏目漱石自身の『遊び』が足りなかったかが、よく解る描写だと思った。 その代わり季節の移り変わりだとか、自然の描写は非常に素晴らしい。 それが、夏目漱石のしてきた「散歩」の成果なのだろうと自分は思っている。
加えて、本日自分の恩賜公園ぶらり旅中に、討論をしている男二人組みは皆無。 二人で散歩をしながら喋っている男二人組みも皆無。 これが時代の流れなのだろうか。当時の東大生なんかは、熱く公園内で鼻息荒く討論したのかなぁ。 あ、熱唱するストリートミュージシャンは1人いた。←聞いてねぇ
今日はそうやって歩きながら、本当に一歩一歩、足元に生きてきた人と過ぎていく時間の感覚を得ることができた。 自分が踏みしめた一歩の、その場所を、100年前の漱石が踏んだかもしれない。 100年前の漱石の数十年後、関東大震災でそこに人が溢れんばかりに集まり、 その今踏みしめている場所で、誰かが亡くなったかもしれない。 その数十年後、そこに猫が寝転んだかもしれない。 一昨日、そこに犬がおしっこしたかもしれない。 時間が経つのは本当に無情で、でもだからこそ楽しみがあるし、悲しみも薄れていくものだと思う。
あ――――――――萌える!!!萌えるっつーか、もう燃えてるね!!! 作品の中に潜むものを、必死で探ろうとしておる自分であります。 まだまだ行くぞおおぉ―――!!
追伸:2006年09月18日(昨日)の日記に、先日行った長瀞のことを写真つきで書きました。阿左美冷蔵とか。 よかったら見て栗。
MAD TIGER地味作品集
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