奇跡を信じて〜あれから〜
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 昨年の今日2002/01/08告知

昨年の今日
2002年1月8日
午前中、Hは気管支内視鏡の検査を受けた
この検査を受ける事をHは恐れを感じていた為
私は朝早くに病室を訪れた
検査後は後ろ髪を引かれる思いで
Hの母と付き添いを交代し仕事へと向った

夕方には
今まで行ってきた全ての検査結果の報告がある為
仕事終了後に病院へ戻った
Hを含めたHの母3人でカンファレンスルームにて
説明を受ける事になっていたが
病室まで来た看護婦さんが私を外へ呼び出した
「先ずは御二人(Hの母と私)にお話した方が良いかと思いまして」
と言われ
Hには「画像を見ながら先生が説明するって言われてるの
Hは長く座ってると体が痛くなるから
代わりに説明聞いて来るわね」と伝え
Hの母と私はカンファレンスルームに向った

病状については昨年の今日のダイアリーに書いた通りですが
まさかそこまで病状が進行しているとは思いもしなかった
Hは肺腺癌の末期で肝臓を始め癌はあらゆる場所に転移していた

一通り説明を終えたO医師は
「このままでは桜を見る事はできないでしょう
治療をして半年でも1年でも延命させてあげたい」と
話した
私は「本人も肺癌である事は間違いないと言っています
積極的に治療を受けるつもりでもいます」と話した

主治医のT医師は泣いていた

「ただ本人は小細胞癌だと思い込んでいますので
先生から腺癌である事を話して頂きたいと思います
末期である事は伝えないで下さい」
私はそう話しお願いした

その後、O医師とT医師は病室を訪れ
肺腺癌である事の説明と
痛みのコントロールの為にモルヒネシロップを使用していく事
翌週から抗がん剤を投与していく事などを話した
Hは医学書の中に書かれている小細胞癌の事に対しては
詳しかったが腺癌の知識はあまりなかった

そのせいか
「小細胞癌でなくて良かった〜
頑張って治療する勇気が湧いてきたよ〜」と喜んでいた

その日からモルヒネシロップの内服が始まった

当時、私はオフィスの入口にある桜に向って
「今年は咲かなくて良いよ」と毎日話しかけていた

医師の言う通り、延命でしかなかったのかもしれないが
本人が望む限りはそれを尊重する方が良いと私は判断した

昨年の今日
奇跡を信じ
自分が出来る事全ての事をさせて頂きたいと思っていた
Hの母へのケア
それを考えると奇跡を信じるばかりでなく
同時に覚悟をする事も必要だと感じていた

あれから1年
その時の自分を振り返ると
私は珊瑚の殻の様に自分の感情を守っていた事に気付いた

2003年01月08日(水)
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