「暗幕」日記
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2002年07月13日(土) |
存在するということは身体だけでも精神だけでもなく |
KOKOROの風景 相手にとってもその方が楽なはずだ、と思って使った表現が、実は一番残酷であったことがわかってしまって、でもだからといって、どうにもしようがないまま時は過ぎていく。生きていれば、時は経つ。ただただそのことに耐えられなくて、時を止めてしまうこともあるのだろう。
身体性を超えたものを求めるなら、身体を滅ぼすことは、ごく自然なことかもしれない。
身体と精神(思考と感情)は、対立するものとして語られることが多いけれど、今この世での存在は、その両者が分かちがたく絡まり合ったものとしての存在だと思う。
自分がしたことによる事態の進展が、その行動を選択し実行したときには想像だにしなかった内容で、そのような事態を引き起こす行動と意志決定をした自分が許せない気持ちになったとき、自分の存在自体を消してしまいたくなる。そうした価値判断をさせるこの世界から逃亡したいという衝動は、身体を壊して、心身両輪から成る(現世での)自分を消そうとする行動に結びつくこともあるのだろう。
あわてなくてもいずれはそうなるのだから、今は、身体がなければできないことをするのが良いと今の私は思う。だましだまし使ってはきたものの、あちこちガタのきているこの身体が稼動するのは、長く見積もっても100年はないだろうけれど。
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