女の世紀を旅する
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2011年04月16日(土) |
欧米流の「フェイスブック」が日本で普及しない理由 |
欧米流の「フェイスブック」が日本で普及しない理由
的をついたブログ記事があったので,下に貼り付けてみた。
下記の筆者はなかなか鋭いところを指摘している。日本のソーシャルネット ワークの社会では実名性を要求するものは普及しないという。ツィッターもいずれ飽きられるという。
考えてみれば,こういうものはビジネス世界を除けばほんとうのところ必要がない。日本文化と精神の破壊につながるのではないか。いま話題のフェイスブックは外国に住んだり,外国に留学している日本人同志の交流に役立つとは思うが,日本に住んでいる一般庶民は国際的な交流とは無縁で,あくまで英語圏のコミュニケーション媒介であり,日本では人気化はしないだろうと思う。英語文明圏の香港,シンガポール,フィリピン,欧米諸国では一般的に普及するだろうけど。
●フェイスブック」は日本で普及するのか?
僕の結論は、普及とは一体何を指すんですか?という疑問から始まります。僕にとっての普及はビジネス視点で見れば、それがユーザーへの認知に対して即効性があり、なおかつ継続的な利益に結びつかないなら、それは普及したとは思いません。
例えば今のmixiがありますが、あれは最初は赤字垂れ流しのビジネスでした。今は広告収入で成り立っています。時代の流れにたまたま乗ったのです。逆を言えば広告収入でしか成り立っていないビジネスモデルに問題を感じる時代に入ってきてる時に、広告収入でしか収益を得られそうもないフェイスブックは普及として失敗すると僕は思ってます。世界最大のグーグルでさえ、広告収入頼りのビジネスモデルに一抹の不安を感じてる時代です。
でもこれは僕個人の小宇宙の考えであって、アマゾンみたいに10年もかけてやっと黒字にさせた企業もあります。でも、それは時代の流れに乗ったか(楽天などもそう)、あるいはアメーバのように資本力が最初からある企業だから普及成功が可能だった訳であり、今の時代にアマゾンみたいに黒字化まで10年も待ってられません。その内に経営陣すらも変わってしまう程の歳月です。
ドッグイアーと言われるネットの世界で、数年で普及できない品物は僕から言わせれば失敗作です。世の中のデバイス(PC端末やスマートフォンなど)がどんどん進化し普及し、ユーザーのリテラシーも急激に変わる中で、その変化に合わせながら普及させるのは至難の業です。
そういう意味でも、新しいサービスを普及させる時は、最初の2年以内での感触でその先の成功もあるか否かを判断できる洞察力が経営陣には必要です。退却か前進かです。ツイッターを見て頂ければ解りますが、もしこれでスマートフォンなどがもっと早く普及してフェイスブックなどもしかけ、グリーにしてもモバゲーにしてもアメーバにしても、他方向で次なる新戦略を打ち出す中、ツイッターは一時の人気や注目から忘れられ、複数あるサービスの中の単なる一つに過ぎなくなります。というか、既になりつつあります。
でも数ヶ月前を思い出して下さい。ツイッターはこの世の新しいサービスを独走してるかのような認識でした。それはマスコミやイノベーター層(流行り物好きな人達)が勝手に囃し立てているだけで、中身を深く洞察、考察すれば、それが本当に普及するか否かは、解ってる人には解ってます。ツイッターは世界を変えるくらい言って本を出していた人達の自作自演行為には笑えて来ます。
ツイッターは廃れます。今のままの内容では日本人には普及しません。それはフェイスブックも僕は同じだと思ってます。それは今年と来年の動向で解ると思います。日本人には欧米のサービスを日本流に改良できるセンスあるキーマンがいないと、それらを普及させるのは至難の技なのです。
日本というのはそういう国なんです。世界一繊細で贅沢で慣れていて、趣味嗜好が深い人種です。単純であって深い人種です。飽き易くのめり込み易く、そして頑固です。
日本人というは非常に特質な人種です。第二次世界大戦後、マッカサーが本当の意味で日本を占領できなかった理由は日本の民族性にあります。日本人という特殊な思考や風習が確立した者達を欧米化することが不可能だと思ったのです。断念したのです。諦めたという事です。
実名性というサービスが日本で一般化されるのはまだまだ先の時代でしょう。その証拠に、完全なる匿名性を排除したサービスは、日本では未だに普及してません。それが何よりもの証拠になります。
日本にもフェイスブックが普及すると豪語する人達は、この画期的で新鮮に感じるフェイスブックという形式のオープン型なSNSを「普及させたい」とか「普及して欲しい」という願いが「普及するはずだ」という思いにすり替えられてしまってるだけであって、現実的に普及するか否かの無機質な部分においては、その論議は全く別物であると認識すべきなのです。
日本人には、匿名性があり自分が守られる閉鎖的な活字世界が似合っていると思います。それが心地よいのです。無理に欧米化するのは仕掛け人達の都合であって、ユーザーの都合ではありません。
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