女の世紀を旅する
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2011年02月08日(火) |
古典に学ぶ 「年をとる技術 3 」 |
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《年をとる技術 3》 (アンドレ=モロワ)
『人生をよりよく生きる技術』( アンドレ=モロワ) 講談社学術文庫
経験をつんだ人間たちは,彼らがかつてきわめて愛した地域や人物へと立ち帰ることを好まない。
幸福と別離とは,結局は結び合わされることになっている。人々は宝を携えて立ち去るのだ。(ニーチェ)
●不幸と病いが,老年には必ずつきまとうものだと考えるのは間違っている。
【肉体の鍛練を不断に続けること】
動物たちを見てみたまえ。その多くは,大きな変化はなしに,生から死へと移っていく。よく訓練された肉体は,柔軟さと美しさを,長期間失わずにいることができる。秘訣は,決して投げ出さないことだ。昨日できたことは,今日もできる。しかし,一度やめたら,それは永久にだめになる。不断の訓練は,驚嘆すべき成果を生むものだ。70歳になってもまだ毎日,剣術やテニスや水泳やボクシングをしている老人はたくさんいる。最後まで体を使うのをやめないことこそ,賢明な道だ。
ただし,気まぐれにときたま思い出してやるのでは何にもならない。いったん始まった老化を食い止めることは不可能である。しかし,老いが我々の肉体の中に入りこんでくるのを防ぐことはかなり容易であるし,またその方がどれだけ望ましいかわからない。
【感情生活と情緒を失わないにようにすること。】
肉体と同様,心も訓練を必要とする。ただ年寄だというだけの理由で,本当に心に感じるものを抑える必要がどこにあろう。老人の恋愛は滑稽だからか? だがそれは,自分が老人であることを忘れるからこそ滑稽なのである。心から愛し合っている老夫婦は,いささかも滑稽ではない。お互いの中に,かつて若いときに愛したものを,いまも見続けているのだ。心くばり,優しさ,情愛,尊敬の気持ちには,年齢はない。のみならず,嵐の時期が過ぎてこそ,かつて不完全なところもあった愛が,年とともに不純物を洗い落とし,地味ながらも美しい味わいを帯びるということがよくあるのである。官能の誤解は,官能とともに消えて行く。嫉妬心も若さとともに失せる。暴力も肉体の力とともに過ぎ去る。
歳月は,激情に身をまかせていた2人を,魅力ある老人にすることもできるのだ。夫婦の人生とは,ゆえに川の流れのごときもので,水源を出たばかりのところでは,水しぶきあげる危険な急流だったものが,河口近くまでくると,流れもゆるやかな澄みきった美しい河となり,その鏡のような広い水面には,岸辺のポプラや夜空の星がすがたを映すのである。
【子供や孫たちの活躍を応援する】
感情生活は,何も恋愛だけに限ったものではない。むしろ多くの場合,子供や孫への愛情だけでも, 老人の生活をみたすのに充分である。自分の息子あるいは娘が,今度は彼らの番となって人生の道を歩むさまを眺めるのは,いかにも楽しいものである。彼らの幸福を喜び,彼らの苦しみを苦しみ,彼らの恋を恋し,彼らの闘争に参加する。彼らがわれわれの代わりに人生ゲームをやってくれているのに,どうして試合から引き下がる気持ちになれよう。彼らが快楽を味わっているかぎり,どうしてわれわれは快楽を断たれたのだなどと思えよう。
●老人が必ず孤独になるというのも,やはり真実でない。
守銭奴で,自分のことばかり考え,いばりちらし,たわごとばかり繰り返すような老人なら,そうでもあるだろう。しかし逆に,自分の中にある老人特有の欠点によく気づき,それと闘い,いち早くその悪い芽を摘みとってしまうような老人,気前がよく,謙虚で,かつ親切にしようとみずから努める老人には,若者は友情を求め,その経験に学ぼうと近づいてくるものだ。老人にとっての難しい問題は,自分の経験を,いかにして,青年が自然にいだくあの熱情を傷つけることなく伝えるかということとにある。とはいうものの,経験は,熱情はすべて愚かしいと教えているわけではない。ただ,すべては実行如何にかかっていると教えているのである。大げさな言葉ではなく,大きな美徳をきちんと行なえと教えているのである。
●生きる理由を持ち続けること。
「老化にともなういちばん悪いことは,肉体が衰えることではなく,精神が無関心になることだ」と先に述べたが,そういう風に無関心になる自分と闘うことはできるし,また闘わなければならない。生きる理由を持ち続けている人は,老いこんだりはしないものだ。 波乱にみちた人生とか,大きな感動とか,学問,研究とかいったものは,疲労と消耗のもとだと思われがちであるが,実はその反対なのである。クレマンソーやグラッドストンは,ともに80歳をこして一国の首相となったが,驚くほど元気であった。老いこむというのは,一つの悪い習慣で,忙しい人は,そのような習慣をもつひまはない。
ところで多忙な人であり続けるためには,どうすればいいのか?
人を指揮することにかけては,老人は若者にまさる。ローマをカルタゴの名将ハンニバルの攻撃から救ったのは老ファビウスであった。年とった外交官や医者は,経験と分別に富んでいる。加えて,若者特有の情念から解放されているので,出来事や主義主張を,より正確に,かつより冷静に判断することが出来る。古代ローマの散文家・雄弁家のキケロは述べている。「偉大な仕事が成しとげられるのは,力や敏捷な肉体によるのでなく,助言,権威,成熟した智恵による。老人はそういったものを失うどころか,逆により豊かに身につけているものだ。
●上手に年をとるための2つの異なった方法。
要するに,上手に年をとるためにには,2つの方法があるということである。 第一の方法は,年をとらないことだ。先に述べたように,活動によって老化をまぬかれる人たちがそれである。 第二の方法は,老いを受け入れることである。老年は煩悩を絶った心静かな年代,したがって幸福な年代にもなりうる。闘争の時代は過ぎ,試合は終わった。死の休息も近い。新しい不幸に襲われることももうない。私は,夢想の哲人にも似た賞賛すべき老人に何人か会った。彼らは,愛欲の嵐のみならず,未来への責任からも解放され,若者たちをうらやむどころか,若者たちがこれから人生の荒波を乗りこえなければならぬことを,むしろ気の毒がっているくらいだった。
●下手な年のとり方。
最低なのは,自分を去っていくものにまだしがみつこうとすることだ。 あと何日かしたらあの世に行かなければならないのに,まだ嫉妬や後悔にとらえられて,人生最後の時を台なしにしてしまう野心家もいる。年をとる技術とは,あとに続く世代の目に,障害ではなく支えであるとうつる技術,競争相手ではなく相談相手だと思われる技術である。
退職ということに関しては,言うべきことは多い。退職が死につながる人間もいる。心の準備が出来ていない人間である。旺盛な好奇心を持ち続けている人なら,それは人生のもっとも楽しい時なのだ。 退職がうれしいことになるためには,何が必要か? 栄光の空しさを知り,無名の人である安らぎを求める気持ちである。自分の村や家や庭で,自分の小さな仕事を持つことである。
賢者は,世間の仕事に時間をついやしたあとでは,自分自身のことと自分の教養のために時間を使うものだ。まだ職についているときから,すでに詩歌や美術や自然に親しんでいる人だったら,それはいっそうたやすいことである。
私のことをいえば,人生の最後をいちばん美しく過ごすのは,いつの日か,田舎,といっても町からあまり離れていないところに隠居し,今までに愛読した何冊かの本を,もう一度,書き込みなどしながら,読み返すことだと考えている。
「あたかもやどり木が枯れた柏(かしわ)の木に生えるように,人間の知性は老年にこそ花咲かなければならぬ」とモンテーニュは『随想録(エッセー )』で述べている。
五十代に影の線をこえたあとで,十年または二十年後に,今度は光りの線を横切ることになるだろう。
初めて老いを自覚したときは,とてもつらかった。まだ自分の世の中だと思っていたのに,世間はもう新しい思想や新しい人々の方を向いているのがショックだったのである。だが今は,もはや自分に属さなくなった時代を,無私無欲な慧眼の観察者としてうち眺めることに,落ち着いた幸福感をしみじみと味わうのである。
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