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2009年08月08日(土) 女優 大原麗子さん死去

女優 大原麗子さん死去
               2009.8/7 産経ニュース


※この女優の眼差しには,「人間存在の哀愁」が漂っていた。世俗を超越した「永遠への憧憬」といった孤高を誇る不思議な眼差しが確かにに感じられた。それゆえ強烈な存在感がある女優であった。



【大原麗子さん死去】“強い女”の先駆け的存在

7月6日、死亡が確認された女優の大原麗子さん 少し甘えたような表情に、ハスキーボイスが特徴的。「すこし愛して、なが〜く愛して」と語りかけるサントリーウイスキーのCMシリーズは、1977年から14年にわたってお茶の間を癒した。

 タレント好感度調査では76年以来、14度のトップを獲得。癒やしのヒロインと言われ、“かわいい女性”のイメージが定着したが、大原さんの信念はあの名言に凝縮されていた。

 「仕事は私の生き甲斐。“家庭は安らぎ”と分かっていても、私は仕事に入ると何もかも忘れてしまう。結局、私も男の立場で、家庭の中に男が2人いたっていうことだったと思います」

 84年6月18日、2度目の結婚相手だった森進一との離婚を発表。1人で会見に臨んだ大原さんは、そう言って胸を張った。実は、現在では当たり前となった“強い女”の先駆けだったのだ。

 大原さんは1964年に芸能界デビューし、高倉健主演の「網走番外地」シリーズや梅宮辰夫主演の「夜の青春シリーズ」などに出演。71年に東映から芸能プロダクション、渡辺企画移籍後はテレビドラマを中心に活躍。石井ふく子プロデューサー(82)の作品に多く出演したほか、89年にNHK大河ドラマ「春日局」に主演し、大女優の仲間入りを果たした。タレントの明石家さんま(54)にものまねされ、バラエティー番組にも登場した。

その一方、森と結婚後に出演した「セカンド・ラブ」では、東陽一監督と掛け合い、濡れ場シーンでのバストトップをカットさせ、芯の強い部分も垣間見せた。その根本にあったのは、不遇な少女時代の経験だった。

 東京・文京区の和菓子店に生まれたが、小学校高学年のときに両親が離婚。店は父親と従業員だった継母が継ぎ、大原さんは母親と家を出た。以来、実家に寄りつくことがなかったという。近所の住民は「弟のことをよく面倒見ていたが、どこか寂しそうな陰のある子供だった」と振り返る。

 ギラン・バレー症候群との闘病生活の末、孤独な死を遂げた大原さん、最期まで陰を背負い続けいてたのか−。

●大原麗子、壮絶闘病生活を告白
2008.11.15 12:25

大原麗子さん サントリーのCM「すこし愛して なが〜く愛して」の名セリフで知られる女優、大原麗子(62)が11日深夜、東京・世田谷区の自宅ガレージで転倒し、右手首骨折と膝を打撲する重傷を負っていたことが14日、分かった。大原は9年前、手足に力が入らなくなるギラン・バレー症候群を患って以来、仕事をセーブしていた。

 最近、テレビや映画でめっきり姿を見せなくなっていた大原。あの甘えた声とキュートな笑顔が懐かしい今日このごろ、飛び込んできたのは、大けがのニュースだった。

 サンケイスポーツ記者は状況を聞くため、この日午後5時過ぎに大原の自宅へ。周りは小川や緑あふれる公園が広がる閑静な住宅街。坂道を何度か上り下りすると、真っ白な外壁が印象的な洋館にたどり着いた。

 インターホンを押すとか細い声で大原が応答。疲れた様子ながらも、丁寧に答えてくれた。それによると、物を取りにいったガレージで足もとがふらつき、転倒。右手首の骨を2カ所折り、都内の病院へ救急車で運ばれ、翌日退院したという。

 転んだのは平らな場所だが、99年に発症した「ギラン・バレー症候群」と闘っていた大原。急速に腕や脚の筋力が低下し歩行障害などを引き起こす病気で、昨年6月には俳優の安岡力也(62)が、同3月には元外相の川口順子氏(67)もかかっている難病だ。

大原は発症後1年、芸能活動を休止。2003年に舞台で復帰したかに見えたが、「本当は何度も再発しているんです。でも、同じ病気の方が怖がると思うから」と公にはせず、その後も密かに病魔と闘っていたという。

 「本当に歩くのがやっとなんです。でも同じ病気で苦しんでいる人もたくさんいるの。お願いだから、いい記事を書いてね」としみじみ。

 最後は、記者の声を聞いて「20代後半ぐらい? 背は1メートル80はないでしょう。体は細いわね」などとサンケイスポーツ記者の容姿を想像(ほぼ当たり!)。「ふふふ、防犯カメラは使ってないわよ。長年女優の仕事をしていると、声を聞いただけで、その人の“なり”が分かるの」とクスリ。いまは女優業を休んでいるが、女優魂は衰えていなかった


● 映画「男はつらいよ」シリーズの山田洋次監督の談話 「寅さんシリーズで2回登場してもらいましたが、本当に魅力的なマドンナでした。キラキラ光るまなざしや、独特の甘い声にはスタッフまでがうっとりとしたものです。暫くスクリーンやテレビから遠ざかっていたので、どうしたのか、お元気なのだろうか、と心配していた矢先なので、ただただ驚いています。とても悲しいです。





カルメンチャキ |MAIL

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