女の世紀を旅する
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2006年07月25日(火) 2006年前半期 著名人〈おくやみ〉1〜3月

2006年前半期 著名人〈おくやみ〉1〜3月


◎花に嵐のたとえもあるよ,サヨナラだけが人生さ  (井伏鱒二)





●3月2日  久世光彦さん(元TBS演出家)が虚血性心不全のため死去

 人気ドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの演出や作家としても活躍した久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが06年3月2日午前7時32分、虚血性心不全のため東京都世田谷区の自宅で亡くなった。70歳だった。1日までは普段通りに仕事をしていたが、この日朝、家族が自宅で倒れているのを発見した。

 急死だった。久世さんは1日まで元気に仕事をしていた。2月22日には「寺内貫太郎一家」のDVD発売イベントに出席。1日も、来週から撮影が始まる予定の新ドラマの関係者と夕方から午後8時ごろまで食事しながら打ち合わせを行った。その後、帰宅したが、関係者は「普段と変わらず元気な様子でした」という。

 しかし、翌2日朝、夫人の朋子さん(48)が自宅内で倒れている久世さんを発見した。救急車で近くの昭和大学病院に運ばれたが、すでに亡くなっていた。久世さんは酒は飲まないが、ヘビースモーカーだった。軽い糖尿病を患い、数年前には副交感神経関係の手術を受けたが、ほかに大きな病気はなかった。

 ドラマのヒットメーカーだった。脚本家の故向田邦子さんと組んでTBSドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などを演出。銭湯を舞台にした「時間?」では茶の間に裸の女性を登場させ、スキャンダルを起こした俳優を起用するなどの奇策で話題づくりも巧みだった。高視聴率をマークして名物プロデューサーと呼ばれ、樹木希林、天地真理、浅田美代子、岸本加世子らを育てた。ドラマだけでなく、映画「夢一族・ザ・らいばる」を監督し、中村勘三郎主演の舞台「浅草パラダイス」なども演出した。

 スキャンダルで騒がれたこともあった。79年当時、久世さんには妻子がいたが、「ムー一族」に出演中だった現夫人の朋子さんとの不倫を樹木希林が暴露。朋子さんが妊娠していたこともあって、久世さんはTBSを退社。その後、テレビ番組制作会社「カノックス」を設立した。

 一方、名文家としても知られた。「一九三四年冬?乱歩」が山本周五郎賞を受賞。俳優森繁久弥の言葉をもとにしたコラム「大遺言書」を週刊新潮に連載中だった。新潮社によると、2月28日に来週号の原稿を受け取っていたが、その後については未定だという。

 沢田研二夫妻らが弔問 久世氏の遺体は、この日午後4時半に遺族とともに東京・世田谷区内の自宅に戻り安置された。夜になり雨の降る中、沢田研二、田中裕子夫妻、樹木希林、本木雅弘、左とん平らが弔問に訪れた。左は「本人はまだ死んだことに気付いていないと思うよ…」と沈痛な表情だった。

 浅田美代子絶叫「やだーっ」 「時間ですよ」でデビューし、「寺内貫太郎一家」にも出演した女優浅田美代子(50)は2日夜、都内で会見し、「信じられない」を繰り返した。16歳から一緒に仕事をしてきただけに「父よりも厳しくて優しい人。怒ってくれる人がいなくなっちゃう」。会見を終えて退室すると、こらえ切れず「やだーっ」と叫んだ。

 訃報の衝撃考慮、森繁には伝えず 2日、週刊新潮で久世氏聞き取りによる「大遺言書」を連載中の森繁久弥(92)に訃報(ふほう)は伝えられなかった。久世さんのデビュー作「七人の孫」以来40年の付き合いで、「大遺言書」も久世さんなくしては実現しなかった。後輩俳優が亡くなる中で、森繁が頼りにしたのは久世さんだっただけに、関係者も「あまりにショックが大きいので、様子を見て知らせようと思うのですが」と頭を抱えた。

※ 関係者悲しみの声
 「時間ですよ」に主演した森光子(85) 1月30日には、私の文化勲章受章のパーティへお祝いにお越しくださいましたのに…。とてもお元気なご様子でしたので、本当に信じられません。「時間ですよ」をはじめとしまして、テレビドラマや舞台でたくさんのお仕事をご一緒させていただきましたし、お仕事の垣根を越えて、お親しくさせていただきました。その思い出はつきることはございません。今年も、お仕事のお約束をさせていただいている最中で…。ただぼう然といたしております。心よりごめい福をお祈り申し上げます。

 「寺内貫太郎一家」の小林亜星氏(73) 先日も会見で会って憎まれ口をたたかれたばかりで、こんなことになるとは思わなかった。山の手の秀才のくせに、悪ぶっている、ませた東京少年がそのまま大きくなった人だった。テレもあったのかな。仕事にはまじめで厳しく、いい加減なことはしなかった。憎まれ口や乱暴なことを言っても、人間心理の微妙なところが分かっていて、人の心を掌握するのは巧みだった。ドラマの世界では巨匠だったけれど、純文学でもすばらしいものを書いていた。僕にとってあこがれとせん望の対象でした。

 「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」に出演していた女優樹木希林(63) 10代のころからの付き合いで、ケンカもしましたね。もう家族の一員みたいな感覚でした。夜中に仕事をする方で、すごいたばこの量ですから心配もしました。言っても聞かないし、家族のようだから、かえってケンカになっちゃうしね。最近は「疲れた」というのが口ぐせで、階段上がったりする時も「手すりがあって良かった」なんて言うんですよ。(DVDのイベントでは)相変わらずすごいたばこで近くに寄れなかったですねえ。人の生き死ににはあまり驚かない方ですが、びっくりしました。

 久世さん最後の演出ドラマ「夏目家の食卓」でヒロインを演じた宮沢りえ(32) もっともっと叱(しか)ってもらって、もっともっとほめてもらいたかった。演じることの本当のつらさと面白さを教えてくれたのは久世さんだったと思います。まだまだいっぱい一緒の空気吸いたかったです。監督、いっぱい、いっぱい、ありがとうございました。

 舞台「浅草パラダイス」に出演した女優・藤山直美(47) これからもっと『ダメ出し』をしていただこうと思っていましたのに…。どうぞ天国でごゆっくりとお休みください。

 「寺内?」に出演した西城秀樹(50) 10代でドラマのいろはを一からたたき込まれ、私にとっては人生の師であり、男として尊敬できる掛け替えのない人でした。本当に残念でなりません。

 久世さんがペンネーム市川睦月として作詞した「無言坂」で93年日本レコード大賞を受賞した香西かおり(42) 私の節目節目に素晴らしい作品を頂きました。「香西かおり」の歌の世界をつくってくれた恩人です。新しい作品を歌えないのが、本当に心残りです。

 「時間ですよ平成元年」に出演したSMAP中居正広(33) 17年前に初めて出演したドラマで演出していただきました。その当時は、久世さんが望むお芝居はできませんでした。近いうちに、お仕事をやらせていただく予定でした。成長した自分を見ていただきたかったのに、非常に残念でなりません。

【久世光彦(くぜ・てるひこ)】
本名同じ。1935年(昭和10年)4月19日、東京・阿佐ケ谷生まれ。東大文学部美学美術史学科卒業後、60年にTBS入社。79年の退社後は沢田研二主演「源氏物語」、ビートたけし主演「刑事ヨロシク」などを手がけ、最後のドラマは05年「夏目家の食卓」。98年に紫綬褒章を受章。








●1月6日  加藤芳郎さん(漫画家)が呼吸不全のため死去


「まっぴら君」などで知られる人気漫画家の加藤芳郎(かとう・よしろう)さんが06年1月6日に呼吸不全のため都内の病院で死去していたことが16日、分かった。80歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は妻の敏江(としえ)さん。

 加藤さんは、胃がんのため、昨年1月から入退院を繰り返していた。昨年末に風邪をこじらせて呼吸困難のため入院。その後体調が回復することはなかった。

 庶民の暮らしをユーモラスに描く作品で人気を集めた。復員後に都職員として勤務のかたわら漫画を描き始めた。47年(昭和22年)に漫画家として独立。54年「オンボロ人生」で人気を獲得した。同年から毎日新聞夕刊で「まっぴら君」の連載を開始。風刺の効いたユーモアとペーソスを持ち味にしながら、特定の登場人物を決めず、世相や社会を真っ向から斬(き)る異色のスタイルが話題を集めた。連載は、01年まで47年間続き、1万3600回を超える新聞連載漫画の最長記録を達成した。健康に不安を抱えたこともあって「まっぴら君」の連載終了をもって現役を引退していた。

 タレントとしても活躍した。68年から91年まで放送されたNHKのクイズ番組「連想ゲーム」に出演。男女解答者が紅白チームに分かれて得点を競い合う構成で、加藤さんは白組キャプテンも務めた。ヒントを出す際の軽妙な語り口でお茶の間の人気を集めた。75年から84年まで放送された日本テレビ「テレビ3面記事 ウィークエンダー」では司会を務めた。

※ 関係者悲しみの声
 女優坪内ミキ子(65) 解答者のために違反ヒントを出しても、上品な言い方だから皆が笑えた。印象に残るのは「人間を誰でも好きにならなきゃいけない」という一言。長年、レギュラーやゲストなど多くの出演者と接してきたから言えたのでしょうね。寂しいです。

 漫画家小島功氏(77)  漫画の描き方を教えてもらったりして16歳の時からずっと付き合ってきたので、突然の知らせに驚いている。彼が出征するときに激励会を開いたが、送られる側の加藤さんが逆に1人で騒いでわれわれを元気づけてくれた。話も面白くて、とても楽しい人だった。漫画に関しては天才肌で、人情味のある画風の中に社会批評も効いていた。

【加藤芳郎】
1925年(昭和14年)6月25日、東京生まれ。41年に東京防衛局勤務。44年に川端画学校中退後、兵役に。終戦後の46年に東京都建設局に復職。54年「まっぴら君」を毎日新聞夕刊で連載開始、02年に終了。86年に紫綬褒章受章したほか。文芸春秋漫画賞、菊池寛賞。日本漫画家協会賞「文部大臣賞」などを受賞。日本漫画家協会の64年創立時からのメンバーで、92年から4年間会長を務めた。


カルメンチャキ |MAIL

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