女の世紀を旅する
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2006年06月14日(水) 児玉清のビューティフル人生

児玉清のビューティフル人生



「果実の熟したことを,君は何によって知るか。枝から落ちることによってではないか。一切のものが与えるために熟し,差し出すことによって完成する。」 ( アンドレ=ジイド『地の糧』 )




芸能界きっての読書家,児玉清(73歳)の情熱的な生き方が教えるもの。



●〈パパの子育て体験記〉―精神の豊さを幸せと感じ続けてほしい―

 娘は幼稚園のころから、先生の言うことを聞かず、とにかく勉強が嫌いでした。参観日で、親が子どもを転がして「いもむしゴロゴロ」をした時など、自分では転がろうとせず、「お父さんやって」と言い張ったほどです。

 いまはその娘の息子、すなわち「孫育て」で、子どもたちの時以上に孫にかかわっていますが、子どもは「怖いものがなくなった時に、とてつもないものになってしまう」とつくづく感じています。決して子どもに恐怖感を植え付けるということではありませんが、子どもを「支配」しないと、事の善し悪しは教えられないのではないでしょうか。娘にも一度だけ手を上げて強くしかったことがありましたが、していいことと悪いことの区別などは、厳しくしかって教え込む必要があります。

 一方、息子の方は、まったく手のかからない子で、中学・高校とバスケットボールに夢中で、毎日生き生きと学校に通ってくれました。大学生になっても家族旅行に付いてきてくれて、しかも荷物は持ってくれるし・・・・・周りから不思議がられるほどでした。

 息子と家内の関係を「密接で直接的」とするなら、息子と私の関係は、”照れ”もあってか、「他人のような間接的」なものでしたが、知らぬ間に私を見ていて、いろいろなことを感じていたようです。例えば、私たち俳優の世界は、学歴は関係なく、最終的には徒手空挙、自分を飾るものなど何の役にも立たない世界なのです。そんな世界に生きてきた父親を見て育ったことが影響したのか、息子にも娘にも学歴とは違った次元の考え方が身に付いたようです。

 そんな息子が高校卒業時に俳優になりたがっているのを、担任の先生を通じて知った時には、ショックでした。自分が「入ってしまった」俳優のようなトリッキー(虚構的)な世界でなく、実体のある、着実な世界に進んでほしかったのです。しかし友人から「親父の生き方がいいと認めてくれたわけだから、喜ぶべきことだ」と言われ、「そんなものか」と思い直しました。ただ、現在はその問題も解決し、別の道を力強く歩んでいます。

 娘の「勉強嫌い」を除けば、子育てで苦労したことのない親思いな子どもたちです。家内にしても、私が夏休みもとれないようなとき、「(私以外の)三人でどこかへ行ってきたら」と言っても、「一緒でないとつまらない」と、行こうとしないのです。みんな、家族といることが好きな、家にいれば幸せ、という家族なのです。

 子どもたちには、「心が豊かになる、気持ちが浄化される−という機会をより多くもてる」、それが幸せだと思えるようになってほしい。物欲的ではなく、精神的な面で幸せを感じることができ、好きな人と一緒にいられること、きれいな風景に出会うことなどが幸せと感じられる、そんな人になってほしいのです。
(資料:月刊こども未来)





●《児玉清》の来歴


東京市滝野川区(現・東京都北区)出身。小学生の頃、群馬県の四万温泉に集団疎開。

誕生日 1933(昭和8)年12月26日   現在73歳

血液型 O型
身長 179cm
体重 70kg
ジャンル 声優・ナレーター/俳優/司会者・MC
デビュー年 1960年
デビューのきっかけ 東宝映画第13期ニューフェイス
デビュー作品 別れて生きるときも 黒い画集・ある遭難 (映画・東宝)
趣味 読書 切り絵
家族 3人
好きな色 黄色

〈出演中番組〉
パネルクイズアタック25(朝日放送)日曜日 13:25-13:55
テレフォン人生相談(ニッポン放送)月曜日-金曜日 11:00-11:20、出演は週1・2回程度。
週刊ブックレビュー(NHK衛星第2テレビ)週替わりの司会担当だが番組開始当初から出演している

〈著書〉
『負けるのは美しく』 『寝ても覚めても本の虫』 『たったひとつの贈りもの』


●学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、大学院進学を目指していた。しかし、母の急死により就職先を探さねばならず、就職活動のシーズンも終わっていたため、唯一募集していた東宝ニューフェイス(新人俳優の募集)に応募し、合格。水着持参のオーディションの際に水着を忘れ、下着のパンツ一枚で現れ審査員の奇異の目にさらされるも、質問にウィットあふれる回答を返し、逆に歓心を買った、という逸話がある。

以後俳優として活動。黒澤明監督作「悪い奴ほどよく眠る」に出演するも、当時から存在感あふれる児玉が目に付いたのか、黒澤にいじめ抜かれる。友人にそそのかされた児玉は「世界のクロサワ」を殴る決意までするが、実行には移さず出番をなんとか終える。のちに黒澤が自分のことを陰で評価していたことを聞き、腰が砕けたと語っている。

東宝では俳優として伸び悩み、退社してテレビに活動の場を移す。水前寺清子主演の『ありがとう』で一躍人気を得て、以後ホームドラマなどで大活躍する。

また、芸能界きっての読書家としても知られる。児玉は年に数回海外旅行に行く際、飛行機内で分厚い英文の小説を読むことが楽しみであるという。

1990年代から本業だったテレビドラマの仕事に消極的だったが、2001年のドラマ『HERO』の出演依頼を断った際に、最愛の娘から説得され一転して引き受けたという。その後、2002年に娘をガンで亡くしたショックもあったが、それが児玉自身を震い立たせ、以後積極的にドラマ出演している。最近はなぜか矢田亜希子との共演が多い。

息子も児玉大と言う芸名で(後に、児玉大輔、本名の北川大輔に変わる。現在は引退)俳優をしていた。

また、2002年12月にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』出演が好評だったことから、翌年6月から『テレフォン人生相談』のパーソナリティを担当するようになった。

文筆活動もある。それは児玉が大好きなポール・リンゼイの著作「覇者」(講談社刊)の解説である。お気に入りのFBI物語とそのほかの作品を比べ、熱く述べている。

テレビでは一見それほど大きく感じられないが、実は179cmと高身長である。

朝日放送のクイズテレビ番組『パネルクイズアタック25』の司会者として全国的に著名であり、現在では、これ抜きでは児玉清を語れない位である。この番組でのジェスチャー(特に、アタックチャンスの時の右手の握りこぶしの微妙な振動)や語り口調などは、他の番組などでモノマネされている。また、アタックチャンス前の休憩中に、児玉自身が出場者と観客に飴玉を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせているのは有名。

アタック25の司会をしている児玉だが、「クイズダービー」にゲスト解答者として出演したとき、解答できずに「わからず」と書いたこともあった。

T.M.Revolutionの西川貴教から『理想の父親』として崇拝されており、西川のラジオ番組に度々出演した。タレントYOUも番組などで好みの男性として名をあげるのも有名な話。

なお、本来の誕生日は1933年(昭和8年)12月26日だが、当時は数え年で年齢がカウントされていたため、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が1月1日で出生届を出したそうである。




●『負けるのは美しく』児玉清(集英社)(読書2005-66) 書評

 児玉清さんと言えば「パネルクイズアタック25」。1975年放送開始だから、もう30年も続いていることになる。それからNHK・BS2「週刊ブックレビュー」。こちらも15年。これって、浮き沈みの激しいテレビ業界にあっては、スゴイことだと思うのだが、児玉さんは実に淡々とそつなくこなされている。しかも、司会業が本職のアナウンサー出身ではなく、東宝ニューフェイス(13期)で芸能活動をスタートさせた俳優なのだから、恐れ入る。僕が児玉さんに抱くイメージは、学習院大学を卒業した渋い知性派俳優で名司会者、といったところだろうか。最近は「パネルクイズアタック25」を見ることは滅多にないのだが、知性の中に「情熱」を感じる例の「アタックチャンス!」という決めのポーズはインパクトがあり、長寿番組となった秘密は間違いなく司会の児玉清さんの存在感にあることは疑いようもない。また、読書通としても有名で、知性派という印象を世に広める一要素となっている。


その趣味が素晴らしい形で結実したのが「週刊ブックレビュー」である。現在は、4人の司会者(芥川賞作家の藤沢周さん、ノンフィクション作家の長田渚左さん、ピアニストの三舩優子さん、そして児玉さん)が週替りで番組を動かしているのだが、やはり司会にも慣れ、本にも詳しい児玉さんの回は、他の3人と比べると出演者に左右されることなく圧倒的に面白い。コメント(本の感想)が上手いだけでなく、繰り出すタイミングも絶妙で、喋りにもメリハリがあるので、自然と盛り上がるのだ。他の3人も感想はそれぞれ面白いのだが、司会に不慣れなため、児玉さんのように出演者から思いもよらぬ雑談を引き出すところまでは達していない。もちろん、それは仕方ないこと。何せキャリアが違うのである。まぁ、つまりはそれだけ児玉清さんの司会ぶりが抜きん出ているということなのだろう。ここまで読んで頂ければお分かりだと思うが、そんな訳で僕は以前から児玉清さんに何となく興味を持っており、ギバちゃんと絡む「大豆ノススメ」のCMも大好きだし、何事もそうなのだろうけど、意識していると普通なら見逃してしまうことでも、目につくようで、先日の集英社の新聞広告で「児玉清」の名前を見つけた時は自分自身驚いた。なぜなら、普段は小説の新刊本ばかりを注意していて、芸能人の著作物は無意識に読み飛ばしてしまうからである。なのに、どういう訳か『負けるのは美しく』はしっかりと僕の目に留まり、手帳にメモをした。そして、後日訪れた書店で普段は行くことのない芸能人コーナーへ足を運んで手にしたのである。『負けるのは美しく』というタイトルにも惹かれた。果たしてどんな内容なのだろうか? と想像が膨らむ。それからカバーの装画もなかなか素朴で味がある。目次で確認すると、何と描き手は児玉さんご自身だった。その瞬間、僕はハンドメイドな暖かさを感じ、どうしても読んでみたいと思ったのである。前置きがすっかりと長くなったが、「大豆ノススメ」ならぬ「児玉ノススメ」を書き進める。


 芸能界で「成功」した人のデビュー秘話を聞いたり読んだりしていると、意外と多いのが「思いがけず……」というものだ。もちろん、ドラマチックにするために多少は脚色もされているのだろうが、「友達に誘われて応募したら自分だけ合格した」とか「母親が勝手に写真を送った」だとかがそのパターンと言える。児玉清さんの場合も、意外なことにそのパターンなのである。児玉さんは、大学院への進学を決めていたのだが、大学卒業式の当日にお母さんが急逝し、経済的理由(児玉家の稼ぎ頭は父ではなく母だった)から進学を断念せざるを得なくなり、慌てて就職活動を始めるが、一年後でなければ採用できないという返事ばかり。そこへ、東宝から「ニューフェイス試験の第一次書類審査に合格したので左記の日時に、第二次面接試験に来られたし」というハガキが届く。本人は応募した覚えがなく仰天する。大学演劇に熱心であったことは確かだが、児玉さんは俳優になるつもりなど全くなかったそうなのである。後になって分かったことだが、実は、就職活動のためにあちこちへ送った履歴書の一通が、児玉さんの演劇好きを知っている人に渡り、本当は俳優になりたいのだろう、と気を利かせて東宝へ紹介してくれたそうなのである。だから、その人のコネで写真もないのに一次試験は通過したのだ。もちろん、俳優になる気のない児玉さんは面接に行くつもりはなかった。ところが、その日の明け方に「試験に行きなさい」というお母さんの声を聞き、その声に導かれるように試験場へ向かうことになるのだが、残念ながら間に合わず「遅刻」で追い返されてしまう。しかし、受付の一人が「せっかくなんだから」と呼び戻してくれ、試験を受けることになる。だが、ハガキをろくに読まずに家を飛び出した児玉さんは水着を用意していない。仕方なく、パンツ姿で面接官の前に現れることとなる。

遅刻の上にパンツ姿。当然ながら面接官の目が厳しくなるのも無理はない。おまけに、俳優になる気がないので無愛想な受け答えを繰り返す。委員長から生来のO脚を指摘され、万事休す、かと思われた瞬間、児玉さんは起死回生のジョーク(それは読んでのお楽しみ)を飛ばし、大爆笑を誘うのである。母の声、受付の好意、そして遅刻、パンツ、無愛想の3大マイナスから大逆転となるジョーク。俳優になるつもりなどなかった青年は、運命の力なのか歯車が回り始めると、あれよあれよという間に試験を突破し、気付けばニューフェイスに選ばれ、俳優への道を進むことになるのだから実に不思議である。しかし、幸運の女神が微笑んだにも関わらず、本人は一年後の就職までの人生経験という意識しかなかったというから面白い。意外とテキトーな性格なんだなぁと、親しみを感じたデビュー秘話である。


 『負けるのは美しく』を読んでいると、どうしても児玉さんの知性が至るところで醸し出されていることを感じる。それは文章が上手いというのとは違う。もちろん、気取っているというのとも違う。隠しても隠し切れないモノなのだ。僕が抱いていた知性派というイメージは間違っていなかったのだと確信した。しかし一方で、僕はこの本を通じて、児玉清さんが単なる格好良い知性派俳優でないことにも気付かされ、本当の「児玉清」を知ったような気がする。それは、文中に何度も登場する「ファイティング・ポーズ」という言葉からも伺えるように、この人はハートがもの凄く強いということ。しかも、熱い。逆境になればなるほど、逃げることなく向って行くタイプなのだ。きっと、どんな時でも頭が切れて器用に立ち振る舞う人なんだろうなと思っていたので、かなり意外だった。児玉清さんの素晴らしさは、ファイティング・ポーズに狡さや卑しさが微塵もないということである。常に正々堂々と誠実に立ち向かう姿勢こそが、『負けるのは美しく』というタイトルへと結びつく。前述の通り偶然の積み重なりで俳優としての「はじめの一歩」を踏み出した児玉さんは、その後いくつもの苦境を乗り越えて今日の地位を築いたのであるが、とてもではないが順風満帆であったとは言い難い。読みどころはいくつもあるけれど、例えば実直な性格を物語るエピソードとしては、自らの正しさを誤魔化さないために「天皇」と称されていた黒澤明監督を『殴る』と決意した「くり出せなかったパンチ」がある。児玉さんは撮影中ファイティング・ポーズを取り続けたのだが、結局パンチは繰り出せずに終わってしまった……。


しかし後日談として、その姿勢は『殴る』はずだった黒澤監督にはしっかりと届いていたことを知り、児玉さんは素直に感動する。本当に世界のクロサワを殴っていたら、児玉清という駆け出しの俳優は終わっていたに違いない。ただ、当時の児玉さんは本気だったと思う。なぜならば、児玉清さんの判断基準は、俳優や監督というポジションの優劣ではなく、人間として正しいか否か、に徹しているから。相手が誰であっても決してブレない強さは魅力的である。他には、名優の森雅之さんについて記した「宙を見ていた」と個性派俳優の山茶花究(僕は失礼ながら存じ上げない)を綴った「ラストスピリット」も印象深い文章だった。人間の生死について大いに考えさせられ、心に残るエピソードである。もちろん、楽しい話も多い。初めての時代劇での大失態や、間一髪で命が助かった自転車事故に自動車事故、そしてメデタイはずの結婚なのに、誰からも祝福されずに、お前のせいで北川町子(妻となった有名女優)が引退したと責められた話なんて実に面白い。


 僕が知っているのは、もう中年と呼ばれる年齢になってからの児玉さんなのだけれど、この本に記された多くの経験と読書が人間としての深みを増し、現在の活躍へと繋がっているんだなぁ、としみじみと感じた。僕は、間もなく35歳になるのだが、この本を読んでまだまだこれからだ! と勇気が湧いてきた。児玉さんの知性には遠く及ばないが、せめてハートだけは強く持って、もっともっと真っ直ぐに進んで行こうと思う。

 最後になるが、児玉さんの愛娘・奈央子さんは2002年に36歳の若さで亡くなった。末期の胃癌である。その宣告から、闘病、死までを綴った「第五章 天国へ逝った娘」は、愛情に満ち溢れている。一言一言を噛み締めながら、児玉さんの無念さを痛いほど感じた。この章だけは、俳優・児玉清でなく、父親・児玉清としてファイティング・ポーズを取られている。「霊感と正義感」を読むと、奈央子さんが児玉さんの娘であることが良く分かる。父親の後姿を見て育った彼女も、ファイティング・ポーズを体得していたのだ。そして、その姿勢は死ぬ瞬間まで貫かれた。児玉さんの奥様は娘から何も相談を受けずに淋しい思いをしたようであるが、それもまた親に心配をかけまいとする奈央子さんの優しさだったのではないかと僕は思う。

 決して平坦でなかった道を真っ直ぐに歩き続けて来た児玉清さん。『負けるのは美しく』を読んで僕は清々とした感動を覚えた。司会者として、俳優として益々活躍して頂きたいと心から願う。


カルメンチャキ |MAIL

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