女の世紀を旅する
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2006年03月12日(日) |
日銀の量的緩和策解除が家計に与える影響 |
日銀が量的緩和策解除を発表したが,このことが日本経済にどういう影響を 及ぼすのか,直接的に我々の家計にどういう影響を与えるのか,このことを検証した記事を拾ってみた。
●量的緩和解除:「異常な政策」終止符 功罪5年を検証・1
日銀が06年3月9日、01年3月に導入した量的緩和政策を解除したことで、深刻な金融危機やデフレ懸念脱却のための「異常な政策」にようやく終止符が打たれた。中央銀行が金利操作を放棄し、民間金融機関に供給する資金量を目標に政策運営する前代未聞の奇策は、日本経済にどのような効果や副作用をもたらしたのか。日銀はなぜ、政府・与党の強いけん制を振り切ってまで早期解除にこだわったのか。量的緩和政策の5年間と、解除をめぐる駆け引きを検証した。
◇日本経済の崩壊救う、金利形成機能は喪失
日銀の量的緩和政策は、バブル崩壊の後遺症から立ち直れずにいた日本経済が、物価下落と景気悪化の悪循環である「デフレ・スパイラル」の底に沈む危機を辛うじて防いだ。政府・与党が今回の解除にしつこいほど異を唱えたことは、量的緩和がいかに重要な役割を果たしたかを示している。一方で、金利の形成という市場本来の機能を低下させたほか、「日本のカネ余りが米国のバブルにつながった」と批判されるなど副作用も生み、功罪両面を映し出した。
福井俊彦総裁は9日の会見で、量的緩和の効果について▽ゼロ金利政策に上乗せして金利押し下げ効果をしっかりさせた▽金融機関に必要以上のお金の量を提供したことで信用不安の増幅を防いだ−−ことを挙げた。
量的緩和が、市場に安心感を与えたのは間違いない。最大の功績は、福井総裁も指摘した金融機関を信用不安から守った点にある。
01年の暮れから02年にかけて、日本経済は崩壊しかけていた。ゼネコン破たんは相次ぎ、不良債権処理に苦しむ大手銀行の経営危機さえささやかれたが「金融機関の資金繰りだけは大丈夫」という安心感が、最後のアンカー(いかり)になった。
もちろん、企業の自助努力があってこそだが、その安心感で企業は不振要因だった人員、設備、債務の「三つの過剰」の解消を進められ、企業業績の回復が家計に及び、前向きな景気回復の循環を生み出した。
ただ、「世界に例のない異常な金融政策」(米エコノミスト)が5年も続くとは、当の日銀さえ予想していなかった。大量の資金をただ同然で供給するため、市場がリスクを分析して適切な金利を形成する機能が失われた。「市場が本来の機能を取り戻すには相当な時間が必要」(大手銀行幹部)で、金利が乱高下し実体経済に悪影響を及ぼしかねないという後遺症は残ったままだ。
量的緩和の解除で金融正常化に一歩踏み出したが、ゼロ金利から金利のある世界にスムーズに移行できるかで、日銀の力量が問われることになりそうだ。【平地修】
◇金利、いつ引き上げるかが焦点
中央銀行は、一般的には金利の上げ下げを通じた金融政策で物価の安定などを図っている。ところが、バブル後遺症に悩む日本経済は金利をほぼゼロにしてもデフレを解消できなかった。日銀が苦肉の策として5年前に導入したのが、金利ではなくお金の「量」を目標に大量の資金を供給し、世の中にお金が回りやすくする「量的緩和政策」だった。
日銀は01年3月の同政策の導入にあたって、「量」の目標を市中金融機関が日銀に預ける当座預金の残高に置いた。日銀当座預金は利子がゼロなので、他に利子がつく運用先(貸出先)があれば民間銀行は資金を貸し出しに回し、それでも余ったお金が当座預金になる。当座預金の残高が増えれば増えるだけ民間銀行の手元資金が潤沢になり、借り手の企業などには安心感が広がるわけだ。
金融機関に義務付けられた当座預金残高は6兆円程度だが、世の中に安心感を広げるため日銀は残高目標をどんどんつり上げ、金融機関が持っている国債などを買い入れて資金を供給。残高目標は04年1月以降、30兆〜35兆円になったままだ。
量的緩和の解除は、お金の「量」を目標にしたこの異例の政策が、金利を目標にした平時の政策に戻ることを意味している。ただ、残高目標を一気に引き下げることはせず、金融機関から買い入れていた国債などを徐々に売却し、今後数カ月間かけて当座預金を減らしていくことにしており、この間はゼロ金利の状態が維持される見通しだ。
残高が6兆円程度まで減少した後は、金融機関同士が市場で行う資金の貸し借りで形成される短期金利(無担保翌日物金利)が金融政策の目標となる。日銀は市場に供給したり吸収したりする資金の量を調節して金利を目標の水準に誘導するが、日銀がこの金利をいつ引き上げるかが次の焦点になる。【平地修】
毎日新聞 2006年3月10日 2時36分 (最終更新時間 3月10日 2時45分)
●量的緩和解除:「異常な政策」終止符 功罪5年を検証・2
◇独立性守り強行突破
小泉純一郎首相をはじめとした政府・与党の慎重論を押し切って、日銀が量的緩和解除に踏み切った背景には、01年3月以来、デフレ克服のために強いられてきた不自由な金融政策から一日も早く脱したいという執念があった。
「政府との意思疎通は大事だが政策決定のすり合わせはしない」。小泉首相が参院予算委員会で日銀の3月解除を厳しくけん制した直後の5日夜。記者団に取り囲まれた福井俊彦日銀総裁は、自ら言い聞かせるように政府の圧力に左右されないという姿勢を強調した。
1月の消費者物価指数が前年比0.5%上昇と明確なプラスになり、福井氏は「解除条件が整えば直ちに解除する」と公言していた。「早く解除しておかなければポスト小泉の政局本格化などに翻弄され、解除の断念に追い込まれかねない」(日銀幹部)との危機感があったためだ。
量的緩和の5年間を、日銀はまさに屈辱の思いで過ごしてきた。速水優前日銀総裁が00年8月に政府の反対を押し切ってゼロ金利を解除したが、その直後に景気が失速。その責任をかぶせられる形で強いられたのが量的緩和だったからだ。その後も、米同時多発テロや株安、円高、さらには金融システム不安など都合の悪いことが起きるたびに日銀は量的緩和の資金供給額を拡大、同時にうっぷんも膨らませてきた。
「条件を満たせば100%日銀の責任で解除させてもらう」という福井総裁の言葉は日銀の総意となった。さらに、福井総裁に対しては、日銀OBらから「中央銀行の独立性をどこで示すのか」と連日のように早期解除を求める圧力がかかった。福井総裁には政府を押し切ってでも解除を決断せざるを得ない事情があった。
ただ、日銀は解除を強行して中央銀行の独立性を守って“名”をとった代わりに、長期国債の買い切り措置やゼロ金利の相当期間の継続、物価安定見通しの提示など政府・与党の要望をほとんどのまされた。これまで、日銀に厳しい姿勢を見せてきた内閣府幹部が9日、「政府・日銀一体でデフレ克服に取り組む必要を十分考慮した判断」と手のひらを返したように日銀を評価したのも“実”を取ったからだ。
日銀ウォッッチャーの一人は9日夜、「日銀の次の課題となるゼロ金利解除への道のりはかえって険しくなった」と解説してみせた。【竹川正記】
◇政府・与党の包囲網 足並み乱れ
量的緩和の早期解除に対し、景気回復という「小泉改革の成果」を政権の終幕で万が一にも汚してはならないという警戒心を抱く政府・与党は日銀へのけん制を続けた。だが、最終局面では必ずしも政府・与党が一体で日銀に圧力をかける構図ではなくなっていた。
閣議に1月の消費者物価指数(CPI)が報告され、解除への条件がそろった3日。安倍晋三官房長官は記者会見で「デフレ脱却の見通しが完全に立ったわけではなく非常に微妙な時期だ」と発言。また、政府高官は記者団に「3月解除は早すぎる」と明言、日銀へ強いメッセージを発した。
こうした布石を敷いた上で3日昼ごろ、安倍氏は官邸の外で福井俊彦日銀総裁と極秘に会った。関係者によると、安倍氏は3月解除の見送りを強く迫ったようだ。福井氏は「いろんな声があることは分かっています」と答えたというが、会談後に周囲が政権中枢からの「圧力」を心配すると、福井氏は「関係ない」と素っ気なかった。
「ポスト小泉」をにらみ、独自の経済政策を目指す自民党の中川秀直政調会長、竹中平蔵総務相のラインはさらに強硬で、昨年暮れにそろって日銀法改正に言及、露骨な政治圧力を掛けた。
小泉純一郎首相も、政権の成果を守りたいという点で異存はない。「まだデフレ脱却とは言えないんじゃないか」(3日・記者団に)「仮に解除した時に、失敗したから戻すということがあってはならない」(6日・参院予算委で)と、一応のクギを刺すことにやぶさかでなかった。しかし、日銀の独立性に照らし政権トップが踏み込みすぎるのは逆効果との判断からか、その前後の発言は一貫して「日銀の判断を尊重する」と控えめだった。谷垣禎一財務相も日銀の決断が迫るに従い、途中から口をつぐんだ。
強硬派のうち中川氏も、3月解除の場合の市場安定化策を充実させる「条件闘争」へと姿勢を変えた。最後まで強く不満をにじませたのは竹中氏で、竹中氏に信頼を寄せる安倍氏も早期解除への懸念を隠さず、首相との微妙な温度差ものぞいた。解除決定後、安倍氏側近は「首相の指示で動いた」と殊更に強調してみせたほどだ。
対照的に、与謝野馨経済財政担当相は日銀を尊重するスタンスを取り続け、9日も「世界のマーケットからも金融関係者からも高い評価を受けると確信している」と日銀をたたえた。一連のてんまつは、今後の経済論戦や「ポスト小泉」政局にも影を落としそうだ。【松尾良、犬飼直幸】
◇竹中総務相「大変残念な結果」
竹中平蔵総務相は9日の会見で、日銀の量的金融緩和政策解除について、「物価水準の目標や達成時期を示すことが(中央銀行の)説明責任だが、今回の示し方は程遠く大変残念な結果だった」と述べた。日銀が0〜2%の物価上昇率を今後の金融政策の目安として掲げたことについては、「目標ではない目安。半歩前進だが、まだ努力をいただかないといけない」と指摘。「物価目標を掲げている国は1〜3%(の上昇)が多い。ゼロはマイナスになる近傍も入る。もう少し踏み込んでいただきたかった」と不満を表明した。さらに「政府も改革するし、日銀にも改革が必要だ。ともに改革していく必要がある」と述べた。
毎日新聞 2006年3月10日 2時40分 (最終更新時間 3月10日 2時43分)
●金利が変える生活設計 5年ぶり立ち戻る「常識」
量的緩和策の解除を一言で説明すると、金融政策の目標をお金の量から金利の上げ下げに戻したということだ。利上げも現実味を帯びてくる。日本人はこの五年間、金利そのものに鈍感になってしまったが、「ポスト量的緩和」は企業やわれわれの生活にどんな影響を与えるだろうか。 ≪分かりやすく≫ 「非常に分かりづらい金融政策から、今後は分かりやすい政策に戻る。これに尽きます」 日銀の福井俊彦総裁は会見で「解除による変化」をこう表現し、「異常な政策」を正常化させた安堵(あんど)感をにじませた。しかし突然、金利を上げ下げする世界への復帰を宣言されては、これまで超低金利でお金を借りていた企業や住宅ローン利用者は動揺する。そこで日銀は“経過措置”を設けた。現在のゼロ金利を「数カ月間」は続け、その後も「極めて低い金利水準」を保つ。お金を借りやすい状態はしばらく続くと考えていい。 ≪いずれ適正に≫ 金利には世の中のお金の流れを調節し、景気動向をコントロールする機能がある。景気回復が続く中で超低金利が長引けば、投資や消費が過熱しインフレやバブルにつながる恐れがある。このため、日銀はある段階になると「適正な水準」に利上げするはずだ。 その時期については「今秋」と予測するエコノミストが多い。 実際、利上げを予想して、企業貸し出しや住宅ローンの金利に上昇の兆しがみえ始めている。 住宅ローンでは三井住友銀行が今月から、主力商品である当初固定期間二−十年タイプの基準金利を0・1−0・15%上げ、平成十一年春以来の年2・20−3・75%とした。三菱東京UFJ銀行やみずほ銀行も同様の改定を行った。量的緩和策解除を受けて、大手銀行は四月から本格的に引き上げる見通しだ。 二十年間金利固定の三千万円の住宅ローンの場合、金利が3%から3・5%に上がると、元利均等で返していくなら返済総額は約百八十万円多くなる計算だ。住宅ローンを多く抱える三十代から五十代にかけての世代への影響は大きい。 ≪預金者は恩恵?≫ 一方で、超低金利は預貯金の利子収入で生活してきた人に犠牲を強いてきた。バブル崩壊後、日銀は緩和政策を続けてきたが、平成三年の金利水準がその後十四年間続いたと仮定して、失われた家計の利子収入は三百四兆円に上る。この失われた利子収入が、金融機関を破綻(はたん)から救い、経営不振企業を延命させてきたといってもいい。 一年もの定期預金の金利は現在0・03%程度。一千万円預けても利息は年にわずか三千円しかつかない。預金金利が上がれば、年金生活者や退職金で老後の生活設計を描く「団塊の世代」は恩恵を受けるはずだ。 明治安田生命保険は九日、一時払い型の保険商品について、契約者に運用利回りを約束する予定利率を四月二日契約分から0・05−0・1%引き上げると発表した。量的緩和策解除に伴う将来の金利上昇に対応した動きで、すでに日本生命保険も二月に同様の引き上げを実施している。 量的緩和の副作用は、低金利で借りやすい状況が未来永劫(えいごう)続くという錯覚を世間に広めてしまったことだ。経営コンサルタントの小宮一慶さんは、これを「負債への甘えの構造」と呼ぶ。 金利は経済の体力や借り手の信用力に見合った水準に落ち着くものだ。その水準に応じて将来設計に必要な資金調達を行う−。ゼロ金利時代に忘れた「常識」に立ち戻る必要がありそうだ。 (産経新聞) - 3月10日2時34分更新
●量的緩和解除:市場の評価、物価の目安に賛否
量的緩和政策の解除を9日に決めた日銀は、解除決定と合わせて「新たな金融政策の枠組み」の柱として、物価上昇率の目安(0〜2%、中心値1%)を示した。目安について、アナリストの評価は「政策の機動性を確保した」「市場の物価見通しを明確にする『期待安定化』にはほど遠い」などと賛否が分かれている。この目安を踏まえた「ゼロ金利」解除時期の見通しも、今秋という早期利上げ論から、来年にずれ込むとの予想まで大きく分かれた。
物価上昇率の目安は、「消費者物価指数上昇率がゼロ%以上になるまで量的緩和政策を続ける」という約束が無くなった後、金融政策の方向性が分かりにくくなって市場が混乱するのを防ぐのが狙い。政策委員9人(9日は欠席1人を除く8人)に「中長期的に安定していると考える物価上昇率はどの程度か」を出してもらい、単純集計した。
これに対し、野村証券金融経済研究所の木内登英氏は「かなり広い範囲の数値で、金融政策の機動性を奪うものにはならない」と分析する。対照的に、UBS証券の白川浩道氏は「中心値の物価上昇率1%を、暗黙のうちに金融政策の目標値として設定した」とみる。BNPパリバ証券の河野龍太郎氏も「金融政策の効果を高めるには、将来の政策を約束した上での運営が不可欠」との理由から、「インフレ目標に近い」と位置づける。
今後の焦点は福井俊彦日銀総裁が「量的緩和政策ほどではないが異例」とするゼロ金利政策の解除の時期。市場関係者の予想は、目安の受け止め方によって、さまざまに分かれた。
みずほ証券の上野泰也氏は「数値の提示が縛りとなり、早い段階で利上げに踏み切りたいとの日銀の願望は封印された」として、年内の利上げは困難と予想する。逆に白川氏は「物価上昇率が1%近くになれば日銀は、金融緩和でも引き締めでもない中立の状態にする必要を強調してくる。『実質的な金利をゼロにする』という理由で、上昇率と同じ程度まで金利を引き上げるだろう」と指摘。秋以降、利上げ局面に入り、年末には無担保翌日物コール金利が0.75%まで引き上げられる可能性があるとみている。【平地修】
毎日新聞 2006年3月11日 19時08分 (最終更新時間 3月11日 19時22分)
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