女の世紀を旅する
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| 2004年12月28日(火) |
スマトラ沖地震の津波で死者2万2000以上の大惨事 |
スマトラ沖地震の津波で史上最悪の惨事。インド洋沿岸各国の被害拡大中 2004/12/27
● 津波で死者2万2000人超え、史上最悪の惨事に 12月26日に起きたスマトラ沖地震の津波の被害は27日、インド洋沿岸各国で拡大、ロイター通信によると、死者の合計は約10カ国で2万2000人を超えた。1896(明治29)年の明治三陸沖津波(約2万2000人死亡.岩手県での死者多数)を上回り、地震による津波として史上最悪の惨事となった。日本人は、タイ南部で8人が行方不明となるなど20人以上の安否が未確認。津波の経験が少なく、地震・津波の国際的情報網が確立していない各国が直撃され、救援活動も難航、犠牲者がさらに増えるのは必至だ。
ロイター通信が伝えた各国の死者はスリランカ約1万人、インド約6600人、インドネシア約5000人、タイで839人など。約6000キロ離れた東アフリカでもソマリアで16人、ケニアで1人など死者が出た。
インドネシアのユスフ・カラ副大統領は27日、スマトラ島で1万人が死亡した可能性があると語った。
タイのプミポン国王の孫のプン氏(21)も南部プーケット近くのリゾートで死亡した。
タイでは死者のほか、7000人以上が負傷、死傷者の70−80%が外国人とみられる。さらに約1100人が行方不明となっており、「かなりの外国人が含まれる」とみられる。タイ海軍の艦船、ヘリコプターは日没とともに事実上、この日の救難活動を停止。プーケットに駆け付けたタクシン・タイ首相は「遺体回収の道のりは長い」と述べた。
スマトラ島沖などでは27日も余震が続き、各国とも被害規模の大きさに対策が追いついていない。各国の救援隊が現地に向かい、日本の国際緊急援助隊医療チームはスリランカへ出発した。
スリランカ北東部のタミル人居住地域、インドネシア・アチェなど紛争地域は被害実態の把握も遅れている。倒壊した家屋も多く、各国で略奪や疫病流行の懸念が強まっている。
米地質調査所はマグニチュード(M)8.9としていた地震の規模をM9.0に修正した。1900年以降で4番目の強さで、阪神大震災の約1400倍のエネルギー。(共同)
■【明治の三陸沖津波】 1896年6月15日、三陸沖の太平洋で発生したマグニチュード(M)8.5の地震。地震の揺れによる被害はなかったが、押し寄せた津波の波高は最大38.2メートルに達し、 民家などを破壊。岩手県の約1万8000人を中心に、宮城県、北海道などで計約2万2000人が死 亡した。津波は地震から約35分で三陸沿岸に襲来。北海道の襟裳岬で約4メートル、ハワイでも軽い被害が発生、北米大陸まで到達。 【明治以降の特に大きな地震】 1923 関東大震災 M7.9 死者 142000 1896 三陸沖津波 M8.5 死者 21959 1891 濃尾地震 M8.0 死者 7273 1995 阪神大震災 M7.2 死者 6430 1948 福井地震 M7.1 死者 3769 1933 三陸沖津波 M8.1 死者 3064 1927 北丹後地震 M7.3 死者 2925
●津波2波、ホテル倒壊 スマトラ沖地震で目撃者証言
「潮が遠く、遠く、遠く引いていった。満月のときの干潮かしらとみんなが不思議に思っていると、『水の壁』が押し寄せてきた」――タイ・プーケット島のパトンビーチで大津波に遭遇した女性はそう語った。インドネシア・スマトラ島沖の震源から6千キロ以上離れたアフリカ東岸まで到達した津波の姿を、本紙の取材や外国通信社電などから再現する。
波が引く「予兆」は震源地近くのスマトラ島北端のナングロアチェ州でも起きた。ランチョク村に住むズルハムさん(35)は26日午前8時(日本時間同10時)すぎの余震の直後、「沖に引いていた海水が一気に押し寄せ、3メートル以上になった」と話す。
同10時ごろ、約600キロ離れたプーケット島のバンタオビーチにいた東京都内の女性(41)も津波がくる直前,潮が引いて「カニや魚が置き去りにされた」という。沖合の海の色が茶色に染まるのを目撃した人もいた。
専門家によると、津波は大洋を渡るとき時速700キロ以上に達する。
同島の建設作業員シダさん(32)は「1度目は5メートル、2度目は10メートルの高さがあった」と証言する。
バンコク在住の会社員二村浩高さん(43)は、同島の北約60キロのビーチで、バリバリバリという音とともに「20メートルの高さの濁流のような波」を目にした。海側に点在するコテージの壁や屋根がめくれあがっていた。「竜巻か」と思ったが、次の瞬間には「逃げられない」。とっさに子供2人に浮輪をかぶせ、両脇に抱えた。
ピピ島に滞在していた都内の会社員三浦真樹子さん(30)は、ホテルの4階にいて、約6メートルの高さの下の階まで波が来るのを見た。同島のホテル従業員は「津波はあちらからもこちらからも押し寄せ、島の中心近くでぶつかり合った」と話した。
マレーシア・ペナン島沖で漁をしていたジャミールさん(54)は陸に向かう白波に気づいた。
「とても美しいが、普通の高さじゃない」と息をのんだ。3〜4波に分かれて津波が同島を襲った。
スリランカでも、同国南岸のハンバントタ付近に2波が押し寄せ、ホテルなどを倒壊させた2波目は5メートル近くの高さに達した。震源と反対側の西岸に面した保養地カルタラでも2.5メートルの高さになったという。
「ゴーッ」「オーッ」「爆弾の破裂音」。海岸にいた人々は、津波の音をさまざまに表現する。「海を見慣れた住民はすぐに逃げたが、海水浴客は尋常でない波に見とれていた」と逃げ遅れた原因を話す人もいた。
スリランカのコロンボでは「津波を見よう」という見物客が波打ち際に集まった。現地の男性は「穏やかだったのでそのまま泳いでいると突然大きな波をかぶった」と語った。 (朝日)
●日本人20人が行方不明 ボランティア7人も連絡取れず
外務省の27日午後4時の発表によると、津波に巻き込まれたタイ・プーケット島周辺の8人と、スリランカのツアー客ら12人の、日本人計20人が行方不明になっている。
外務省によると、プーケット周辺で津波で流されて行方不明になっているのは、計5家族の大人4人、子ども4人。子どもはすべて小学生以下。いずれも津波に流された様子を、家族などが目撃していたという。
スリランカ南部のハンバントタでは、大陸旅遊(本社・東京都新宿区)のツアー客と添乗員の計12人が行方不明になっているという。
同社は27日午後、東京都内で記者会見を開き、「タイ・スリランカ野生動物と瞑想(めいそう)を共にする旅」ツアーの20人が、スリランカ南部で被災したと発表した。8人の無事は確認されたが、添乗員1人を含む12人の安否は分からないとしている。20人の内訳は、東京都11人、埼玉県1人、神奈川県6人、大阪府1人、兵庫県1人。3〜16歳の子ども5人が含まれている。
一方、これとは別に、国際協力機構(JICA)が同日、スリランカ、モルディブ、タイに派遣されているボランティア計7人と連絡がとれなくなっていることを明らかにした。 (04/12/28)
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