女の世紀を旅する
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2003年11月28日(金) |
21世紀の世界大戦は中東から始まる |
《 世界の火薬庫,中東から世界戦争が始まる 》
2003.11.28
「文明の衝突」がほとんど現実味をおびてきた。
この国際政局の混乱は日本にとって死活的な問題ともなりえる危険性をはらんでいるので,注意が怠れない。
いまや,中東紛争とイスラムパワーが人類文明の最大の試練として浮上してきている。
以下は,SAKAI TANAKA氏の大胆な近未来の「世界戦争」予想シナリオであり,中東が抱える問題点をわかりやすく説明しているので紹介しておきたい。
今後は,国際時局の動向を理解するためにイスラム世界の宗教・歴史・文化に精通しておくことがきわめて大切となろう。
●イラク3分割案の危険なシナリオ
アメリカの中道派の総本山ともいうべきシンクタンク「外交評議会」から 「イラクを3分割すべきだ」という提案が出てきた。
イラクはシーア派(人口の60%、主にイラク南部・中部に在住)、スンニ派(15%、主にイラク中部)、クルド人(20%、主にイラク北部)という3つの系統の人々から主に成り立っているが、政治権力や軍事力は以前から少数派のスンニ派が握っており、フセイン政権もスンニ派政権だった。米軍にゲリラ攻撃を加えているのもスンニ派の勢力である。そのため、反米傾向が少ない北部のクルド人地域と、南部のシーア派地域を分離して自治を与え、先に安定させるべきだ、というのが3分割提案の要点である。
中部のスンニ派地域では今後さらにゲリラ戦の激化が予測されるので、米軍単独ではなく、国連の傘の下で(米軍を中心とした)国際軍に再編し、ゲリラを掃討する計画だ。
イラクが建国された1921年からフセイン政権まで、イラクを統治していたスンニ派勢力の最大の財源は石油だったが、イラクの石油は北部のクルド人地域と南部のシーア派地域に集中しており、中部のスンニ派地域にはほとんど石油がない。そのため、南北を先に分離させれば、スンニ派勢力は財源を失い、弱体化してゲリラ戦を続行できなくなる。だからイラクを3分割すればイラクの戦闘は早く終わる、と提案されている。
3分割案を提案したのは、外交評議会の名誉会長で外交専門家のレスリー・ゲルブ(Leslie Gelb)で、発表は個人名でなされている。だが、この提案が「石油利権の確保」を念頭に置いて作られていると思われることと、外交評議会は9・11事件以前に「イラクに対する経済制裁を緩和してフセイン政権の石油輸出を容認しよう」という趣旨の提案を行っていたことから考えて、アメリカの支配層の権益を重視する外交評議会の本流の考え方と一致している。
●印パ分離の悲劇の再来
ゲリラ戦が止まらないため、イラクからの石油搬出はかなり滞っており、特にクルド人地域からトルコに伸びるパイプラインは破壊と修繕を繰り返している。今後さらにゲリラ攻撃が激化すると予測される中、このままでは安定した石油収入がいつまでも得られず、イラク復興の財源が作れず、アメリカの石油関連企業も儲からない。
フセイン政権は、北部と南部へのスンニ派の移住を奨励する一方、シーア派やクルド人をもともと住んでいた地域から追い出し、貧民としてバグダッドに流入するよう仕向ける政策を続けていた。このため北部と南部には、かなりの数のスンニ派が住んでおり、彼らが米軍に対する抵抗勢力の中心となっている。パイプラインの破壊も、スンニ派ゲリラが行っている可能性が高い。
こうした状況に対し、3分割案は「シーア派とクルド人に自治を与えるとともに武装させ、自治領域内のスンニ派武装勢力と戦わせる」という構想を掲げている。油田やパイプラインは独立を希求する地元勢力が命がけで守ってくれるので米軍兵士の犠牲が減るし、アメリカは安い石油を手にでき、少なくともイラクの北部と南部では「民主的な政権」ができて一石三鳥だ、というのが3分割案の主張だ。
だが少し考えていくと、そんなにうまい話ではないことが分かる。クルド人地域にはかなりの数のスンニ派が住んでおり、一般市民とゲリラの見分けがつかない。キルクークとモスルというクルド人地域の2つの百万人規模の大都市では、人口の半分前後がスンニ派である。クルド人の自治を拡大し、反対する者は武力で制圧して良い、ということになると、内戦になり、何十万人というスンニ派の一般市民が死ぬ結果になりかねない。同様に、南部のシーア派地域にもたくさんのスンニ派が住んでいる。
一方、スンニ派の多い地域であるイラク中部には首都のバクダッドがあり、 ここでは600万人の人口のうち300万人が貧困層のシーア派である。3分割案では「彼らを安全にシーア派地域に移住させる。移住の際の警備は米軍の義務となる」としているが、南に向かうシーア派と、北に向かうスンニ派の避難民の列が、相互に殺し合いを始め、米軍は危険にかかわりたくないので傍観するだけ、という事態が起こりかねない。
こうした悲劇を、われわれはずっと前に見たことがある。インドとパキスタンの分離の際の悲劇である。インド植民地の宗主国だったイギリスが「次善の策」として行った民族大移動は、現在まで印パの対立として残り、インドでテロが続発し、アヨドヤの聖地でヒンドゥ教徒とイスラム教徒が殺し合い、パキスタンでイスラム主義組織が拡大する、という昨今の事態につながっている。
●もともと石油利権のために意図的に建国されたイラク
3分割案では、イラクを分割する際「できる限り民族の境界線に沿って3つに分ける」ことを提唱している。だが、すでに複雑に混住が進んでいるイラクでは、明確な3分割は非常に難しい。分割後の地図が公式に発表された段階で、あちこちで戦闘が始まり、収拾がつかなくなると予測される
もともとイラクは、第一次大戦でオスマントルコ帝国を倒し、中東の支配権を獲得したイギリスが、安定した石油供給を可能にするために、オスマン帝国下では3つの州だったものを1921年に一つの国にまとめ,ファイサルを国王に就任させた経緯がある(英から完全独立したのは1932年)。
※イギリスは、イラクの住民に「イラク国民」という意識を植え付けるため、国家の象徴である王室を作ることにして、第一次大戦でイギリスに味方してくれたアラブの盟主ハーシム家のフセイン(ヒジャーズ国王)の息子ファイサルを国王として招いた(イギリスは同様にトランス=ヨルダン王国(ヨルダン)を作り、ハーシム家のもう一人の息子アブドゥッラーを国王に据えた。英からの完全独立は1946年)。ハーシム家はムハンマド(マホメット)の血筋を引く名門である。
イラクは、もともとイギリスの石油利権のために作為的に建設された国だった。
イラクでは戦後,石油が発見されたが,一部の有力者に富が集中し,社会的不平等に貧困層の不満が高まった。また当時イラクは,反共のバグダード条約機構の中心国としてアラブ諸国の中で孤立した。1958年にエジプト・シリアによるアラブ連合共和国がナセル大統領の指導で発足すると,これに対抗するため,イラクはヨルダンとアラブ連邦を結成したが,これに反発してカーセムらの将校団が蜂起した。すなわち,1958年のイラク革命である。この結果,イラクのハーシム家の王族が皆殺しにされ、アラブ連邦も崩壊し,イラク共和国が成立した。
その後、1960年代にアラブ民族の統一を掲げるバース党がクーデターで政権をにぎり,1979年からバース党のフセインがイラクの大統領になり,独裁的権力を掌握した。彼は,イラクを統一国家として発展させる方針を強め、スンニ・シーア・クルドという3つの系統を混合させ、逆戻りできないようにしようと、強制移住政策を続けた。フセインが混住政策を続けたのも、クルド人地域やシーア派地域にある油田をスンニ派主導のイラク政府が抑えておけるようにするためだった。
つまり、イラクでは建国以来の80年間、3つの系統を一つの「イラク人」 という意識にまとめていこうとする国家的な努力が続き、今では多くのイラク人が「スンニとかシーアとか関係ない。みんなイラク人だ」という「国民意識」を持っている。シーア派の中で過激なイスラム主義を主張する人々に「イランのスパイ」というレッテルを貼り「イラク対イラン」という国民意識の対立軸の中でシーア派の過激化を防ごうとする動きもシーア派自身の人々の中に存在する。
そんな風に「イラク人」という統一の国民的意識が人々の間に根づいてきた今になって、新たにイラクの「宗主国」となったアメリカの外交戦略立案機関が、またもや石油利権のために「3分割の方がいい。統一されたイラク国家を作るのが望ましいという従来の英米の方針は無理があった」と言い出しているのである。
●米軍が撤退しても中東の混乱は続く
このようにイラク分割案は、中東が今でも英米という宗主国の間接支配下にある植民地で、宗主国の側で都合が変われば、いつでも中東の国境線や国家の枠組みを変更できる、という実態を示している。
とはいうものの、イラクの現状からみれば、分割案はある程度現実的な選択肢であることも事実である。米軍は、もはやイラクで勝つことができない泥沼に陥っている。もし米軍がスンニ派のゲリラをすべて潰すことができたとしても、その後スンニ・シーア・クルドの3勢力が満足できる政治形態が生まれる可能性はほとんどゼロである。
国政選挙をすれば、国民の60%を占めるシーア派が単独過半数の与党となるが、イラクはフセイン政権が倒れるまで何百年もの間、ずっとスンニ派による支配が続いてきた歴史がある。その経験から、スンニ派(旧バース党勢力)は高い政治的・軍事的な戦略技能を持っており、スンニ派はシーア派主導の政治体制に揺さぶりをかけ続けるだろう。シーア派主導の政府が出す条件しだいでは、クルド人も反旗を翻して分離独立していく可能性がある。
米軍がスンニ派ゲリラを大して潰さずに出ていけば、再びスンニ派のバース党勢力がよみがえり、フセイン本人か、その一派のスンニ派の独裁者が政権を奪取し、シーア派とクルド人を無数に殺して独裁政権を打ち立てるだろう。
結局、米軍がどこまで戦い続けても、イラクが安定して平和になる可能性は低い。不安を抱えながら統一を維持するより、早めに分割を決めてしまった方が内戦になる懸念が小さい、とアメリカの外交専門家たちが考えたのは理にかなっている。そもそもこんな戦争を起こしたアメリカが悪いのだが、それを責めたところで、現実論としては何も変わらない。戦争は、歴史を後戻りできない形で動かしてしまっている。
●中東地域の解体
分割されて内戦になっても、それが「イラク連邦」の内部の問題にとどまっ ている限り「国際社会」としては局地的な問題として処理できるかもしれない。 だが、アメリカの決定であれ、米軍撤退後の内戦の結果であれ、イラクが分割されていく段階で、中東全域が今よりもさらに不安定になり、戦争が他の中東諸国に拡大していく恐れが強まる。
その一つはクルドとトルコとの戦争の可能性である。クルド人はイラクのほかトルコ、イラン、シリア、アゼルバイジャンなどに分散して住んでいる。第一次大戦のとき、クルド人はいったんは民族国家としての独立をイギリスなどから保証されたが、その後ロシア革命が起きたため、共産ロシアに対する危機感を持ったイギリスはオスマン帝国崩壊後のトルコ共和国をテコ入れする方針に転換し、トルコの統一を重視してクルド人国家に対する承認を取り消してしまった。
それ以来、数カ国に別れて住んでいるクルド人はトルコやイラクなどで分離独立運動を続け、イラクやトルコの政府は国内のクルド人の独立運動を弾圧した。今後アメリカがイラクのクルド人の事実上の独立を認めると、トルコのクルド人も独立の傾向を強めるかもしれず、トルコはクルド人を制裁するために北イラクに侵攻するかもしれない。トルコ政府が北イラクに侵攻したり、国内のクルド人を弾圧すれば、トルコのEU加盟が遠のき、経済的にマイナスとなる。どちらにしても、トルコは今より不安定になる。
3分割案では「フセイン政権時代の末期の数年間、北イラクではクルド人の自治政府があったが、トルコはこれに対して特に攻撃しなかった」として、トルコ・クルド間の戦争は起きないと予測している。しかし、トルコがクルドの自治を容認したのは、それがフセイン政権を倒すためのアメリカの戦略の一環だったので楯突かなかっただけであり、フセイン政権なき今後は事情が違ってくる。
一方、シーア派の自立については、イランとの連携強化が予測される。シーア派は、イラクではアラビア語、イラン(人口の95%がシーア派)ではペルシャ語やトルコ語系の言葉を話しており、母語が違うので民族が違うといえるが、イラクのシーア派が政治的独立を獲得し、民意で今後の方向を選択する状況になった場合「イラク人」「アラブ人」「シーア派」の3つのアイデンティティのどれを最も重視するようになるか、予測がつかない。イラクのシーア派の人々の間には、シーア派としての宗教アイデンティティを重視する政治運動が強くなっている。
もし、シーア派の人々が政治を宗教化する方向に動いてイランとの連携を強め、両国の石油を使ってアメリカの好き勝手にさせないようにしようと試みたりすると、この方面でも外交的な危機が起きる。イランは核兵器開発の疑惑を持たれており、イスラエルがイランの核施設を爆撃するという脅しを行っている。
イスラエルは1981年にイラクの核施設を爆撃している。しかし,イスラエル自身が核兵器を持っており、イランとイスラエルとの対立が深まると、核戦争の可能性が強くなるので,最大限の注意を払う必要があろう。
●戦争とテロの拡大化は必至
イスラム教のスンニ派に属するのは、サウジアラビア(厳密にいえばイスラム原理主義のワッハーブ派が国教)、ヨルダン、シリア、エジプト、トルコ、パキスタン、アフガニスタンなど多数派を占めており、アメリカとのゲリラ戦争が激化した場合「イラクのスンニ派を救え」というイスラム主義運動が強くなる恐れがある。すでに不安定になっている対米追随のサウジアラビアのサウード王家が倒れる可能性も出てくる。
このようにイラクが分割されると、中東全域に戦争が広がる危険が強まる。 アメリカがイラクを分割しなくても、内戦になって自然に分割され、同じ結果になる可能性もありえる。
戦争の危険を外交で取り除くことも、ある程度はできる。最近欧米がイスラエルに対し、パレスチナ人との和平交渉を再開させようと圧力を強めているが、これはイランやシリアを攻撃して中東の危機を拡大させそうなイスラエルを抑止しておくための方策とも受け取れる。
だが、戦争とは外交によって国際問題が解決できなくなったときに勃発することを考えると、アメリカがイラクに侵攻したことで、中東地域で保たれていた微妙なバランスをうかつにも壊してしまった以上、中東の問題は以前よりはるかに大きくなり、解決不能になって戦争の拡大に拍車をかける可能性が高まったとみてよい。
エジプトからパキスタンまでの地域に戦争が広がっていくと、その周辺の東欧、ロシア、中央アジア、インドに影響が出る。インドネシア、フィリピン、マレーシアなど東南アジアのイスラム諸国にも飛び火する危険性もある。世界全体が不安定になるなかで、北朝鮮の問題も外交で解決しきれなくなるかもしれない。
世界の現状は、第一次大戦の勃発期に似ているかもしれない。このことは改めて詳しく書きたいが、第一次大戦は、それ自体としては日本にはあまり直接関係なかった(日本の対アジア利権を拡大させた)が、その20年後に起きた第二次大戦につながり、結局は日本をも破綻させた。今は遠くで起きている戦争だが、長い目で見ると、東アジアに飛び火してくる可能性もある。
少なくとも、中東で起きているこの混乱は今後2〜3年で片付く問題ではない。戦争はまだ始まったばかりで、今後数十年以上長引き、広がっていくのではないかという不安がある。戦争の発火点となったイラク侵攻がアメリカにとって不可避なものではなく、米政権中枢のイスラエル寄りのタカ派(ネオコン)によって引き起こされた謀略的なものだったことを想起しておきたい。すなわち,現今の紛争の原点は常にパレスチナ問題に収斂されるのである。それゆえ,今後の戦争や紛争の性格はイデオロギーの対立ではなく,宗教対立の要素をはらむものとなる。近い将来,国際政局はいよいよ複雑錯綜し,アメリカの国力の衰退が新たな世界混乱をまねくことになろう。
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