女の世紀を旅する
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2002年10月05日(土) |
《 老いこそ冒険の時 》 対談 石原慎太郎・曾野綾子 |
《老いこそ冒険の時》 2002.10.5
【対談】 石原慎太郎(70歳.作家.東京都知事) 『老いてこそ人生』
曾野綾子 (71歳.作家)『戒老録』 (文芸春秋.2002.9)
石原 曾野さんは,もう古稀は超えましたか?
曾野 ええ,昨年。
石原 僕はこの9月なんだ。
曾野 お互い,「老い」を話し合うようになったのねえ(笑)。
石原 そうですね。昔,歌にあったじゃない,「村の渡しの船頭さんは,今年六十のおじいさん,年はとってもお舟を漕ぐときは,元気いっぱい櫓がしなる,それ,ぎっちら,ぎっちら,ぎっちらこ」って。もう二人とも六十をはるかに超えたんだ(笑)。
曾野 「船頭さん」ね。石原さんのお書きになった『老いてこそ人生』(幻冬舎),とても面白かったんですが,ジョギングとかヨットとか腰痛体操とか,ほんとうに色々な運動してらっしゃるのね。
石原 ええ,本気でジョギングを始めたのは30歳を越した時なんですが,そろそろ峠を越したような気がして,「うーん,このままではいかんな」と思って。曾野さんの『戒老録』(祥伝社文庫)は随分若い時に書き始めたんですね。
曾野 その当時の平均寿命が74歳で,私は37歳になって,ちょうど人生の折り返し点に来たと思って書き始めたんです。
石原 それは備えがいいなあ(笑)。老いというものは肉体的な老いだけではなくて,色々なコンセプトがあると思うけど,曾野さんはどういう時に老いを感じました?
曾野 六年前(65歳)に足を骨折したときですね。全治9カ月もかかったんです。
石原 エッ,どこを折ったの?
曾野 お墓参りに行ったときに,右足のすねのところを縦,横に。治ったんですが,足の踏み込みは悪くなって,今でも転びやすいんです。歩くことは,ギリシア語で「ペリパーティオー」と言って「生活すること」と同義なんですね。それで,人間は何か障害を持つ状態が当たり前なんだと思うようになったの。
石原 そうなんですか。老いの自覚は相対的な感覚だと思う。年齢とはもちろん関係ない。他人との比較で感じることではなくて自分自身の内側の問題なんですね。僕なんか,最初に老いを感じたのは,20代の始めなんだ。大学2年生のときに,母校の高校のサッカーの夏合宿に行った。あの頃は練習している間は水を飲んではいけない,というディシプリンがあって,それでやっていると,高校のときは体が持ったのが,2年しか経っていないけれど体がもたない。そのときに「あー,年だ」と思ったね。
曾野 そういう厳しい生活だったからきっと早く老いを感じたのね。
石原 26,27のときにヨットで死ぬ思いをして式根島から大島の波浮港へ逃げ込んだときも全身綿のように疲労して,「やっぱり年をとったんだなあ」と思った。でもそれから後は,50になっても,60になっても全然年をとったとは感じないんですよ。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と昔から言いますね。でも同時に,肉体を鍛えることで培われた精神が,老いて肉体が衰弱してくると,逆にその人間を支えてくれる。
曾野 健全な肉体しか知らなかった魂は,肉体が健全でなくなるとたじろぐんじゃありませんか?
石原 それが逆なんだなあ。小説家なんて,感性とか情念とか,もっとクリスタライズされた精神でもそうだけど,肉体が衰弱すると弱ってくる。そういう小説家が多いでしょう。逆に三島由紀夫さんのように,ボディビルで人工的に作った変な肉体を持っちゃうと,それが感性を歪めてあんなことになってしまった。若い時に肉体を鍛えることによって培った精神が,老境の肉体を支えてくれるのは,人生の一つの公理だと思うな。
曾野 私は学生の頃居眠りばかりしていたの。それである日の午後,すやすや気持ちよく寝ていて,パッと起きたら,フランス人の神父が,「健全な肉体に健全な精神が宿ると日本人は言うけれど,健全な肉体にはしばしばどうしょうもない単純な精神が宿っている」って言ってらした。嬉しくなった覚えがあるわ。
石原 うーん,そうかな(笑)。
曾野 健康とか健全とか,どこかではっきり分かれるものではなくて,いいも悪いもない,それがその人なんだと思うようになったんです。
石原 肉体と精神の相関性についてのとらえ方は,男と女で多少違うのかもしれないなあ。
曾野 私はこれまで,運動らしい運動ってしたことがないから,若い頃と比べて肉体が衰えたという感じがよくわからないのね。
石原 チャンドラーの有名な言葉で,「男はタフでなければ生きていけない。男は優しくなければ男でない」ってあるでしょう。僕はあれはとってもサジェスティブで,男としては,年を取って初めて分かる言葉だと思いますね。
曾野 それは女だってそうよ。女もタフでなければ面白くないし,優しくなければ人の心に触れられない。ヘンなところで男女同権主義者なの,私(笑)。
●老いは第二の冒険のとき
曾野 この間,テレビをつけっ放しで寝てて,夜中にふっと目がさめたら,BBCで作家のスティーブン・キングが喋っていたの。これが実に面白くてね。母親がガンで死の床にいたときに,死んだ父親の話をしたそうです。 「あなたのお父さんは掃除機を売り歩いているセールスマンだったのよ」と言って,「それも,未亡人のところばかり選んで夜中に売り歩くような人だったけど」って。
石原 ハハハハ。
曾野 父親については,「父親というのは,いいも悪いもない存在だ」と言ってた。これはすごく高等な大人の表現ですよ。日本人は,いいか悪いかどちらかに決めたがるでしょう。私はこういう自由なものの言い方ができるのが老年の特権だと思うんです。「父親は無きに等しい存在だ」とも言っていたけど。
石原 まあ,それは父親によるだろうな・・・・(笑)。
曾野 だから,私,老年って冒険の時だと思う。
石原 まさに老いは第二の冒険の時ですよ。ほんとうにやろう思えば若い頃より何でもできる。
曾野 人間て,子供が小さいと,「この子のために生きてやらねばならない」とまともなことを考えるんですよ。だけど,老年は子育ても終わったし,いつ死んでもいいの。だから冒険すればいいのよ。
石原 ものの味わいというのは,年を取って始めて分かってくるという気がしませんか? 味覚にしろ,性愛にしろ,たとえば街でいい女に出会って,「はァー」とため息つきながら眺めるときのとらえ方が,若いときと違って,もっと深くなってくるんだなあ。
ボードレールの詩に,「都会の雑踏のなかで女とすれ違って,実はこの女を俺は求めていたんじゃないかと思って,向こうも同じことを感じてくれたということは分かるけれども,交わす言葉もなくて,すれ違ったまま永遠に別れてしまう」というような詩があるけれど,あれはやっぱり若い時代の思い込み,若さの自惚れでね。年をとってくると,もうちょっと余裕をもって,幅をもって,こう・・・・まあ高齢の人でもいい女っているじゃないですか。そういう人に会うと嬉しいね。
曾野 ハハハハ,そういう方がいるの?
石原 たとえば私の通っている東京ローンクラブにかつてウィンブルドンに日本代表で行った87歳位のおばあちゃんがいるんです。その人は綺麗で,とても可愛いんだ,テニスをした後,一杯お酒を飲みながらいろんな人の話しをしてて,「お気の毒ねえ,あの方,早く亡くなって」「幾つでしたか」「まだ81歳よ,あなた」ってさ(笑)。そういうときがとても魅力的なんだ。
曾野 面白いわね。
●年寄りは酔狂でなきゃ
曾野 私の老年の楽しみは,ヘンな土地を旅行することなんです。都知事はなかなか出掛けられないんですよね。
石原 そうでもない。時々出ますよ。
曾野 私は最近よくアフリカに行くんですけど,「あーっ,今晩おまんまが食べられるのはありがたい」と新鮮に思えるのは,アフリカのおかげです。
石原 アフリカは僕も何度か行ったけけど,曾野さんみたいな体験はなかなか出来ないな。あなたは信仰からの奉仕精神のせいもあるんだろうけど。
曾野 私たちは水道と電気が通っているという前提でものを考えているけど,アフリカにはそれもない。日本に生まれさせていただいたことがありがたくてしようがなくなりますよ。年をとると感謝の気持ちがなくなる人が多いわね。日本の老人は幼稚だと思いませんか?
石原 福田和也が書いた「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」という小論文はなかなか良くて,幼稚というのは,IQが低いのでなくて,何が肝心かということが分からない,肝心なことについて考えたがらないことだと言っている。同感だな。
曾野 それに付け加えると,「人生はいろいろあらぁな」ということが分からない。「あらぁな」と思うことと,わが胸の底の「これだけは譲れない」というものが両立するといいんですけど。
石原 日本人には「垂直の情念」みたいなものがなくなってきた。それこそ,「いろいろあらぁな」ということが,「なにやったって同じだ」になってしまった。何でこんな風に駄目になってしまったのかね。
曾野 私,新派の「滝の白糸」が好きなんです。あれは好きな男に貢いだ水芸の女がいて,それが殺人を犯す羽目になって,金沢の法廷で検事に追及される。それで,「どうして三百円も好きな男に貢いだのか」と尋問されて,「だからさっきから申したじゃありませんか。それは私の酔狂だったんでございますよ」って言うのね。
石原 あ,いいねえ。
曾野 年寄りは酔狂でなきゃ。その酔狂って言葉がなくなっちゃったの。生きていることなんてみんな酔狂なのに。
石原 いや,ほんとうにそうだね。
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