女の世紀を旅する
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2002年05月21日(火) 北朝鮮の悲劇(6) 北に帰還した在日朝鮮人が強制収容所に入れられた背景

北朝鮮の悲劇(6)帰還した在日朝鮮人と地獄の強制収容所




●帰還した在日朝鮮人の多くが収容所に入れられた背景

1959年12月以降,多くの在日朝鮮人が帰国した。日本人妻6000人とその子供たちを含む。以下は法務局入管局の記録による帰還者の数。

1959年  2942人
1960年 49036人
1961年 22801人
1962年  3497人
1963年  2567人
1964年  1822人
1965年  2255人
1966年  1860人
1967年  1831人
1971年  1318人
1972年  1003人
1973年   704人
1974年   479人(この時点での累計92,115人)


 「帰国者」の最大の悲劇は,社会主義・朝鮮を「地上の楽園」と錯覚して帰っていったことである。
しかし,まもなくそこが地獄の世界であることを発見する。「楽園」ではなく本物の「地獄」であることに気づいた時には後の祭りであった。しかも「地獄の中の地獄」である強制収容所に入れらるれとは誰が想像しただろうか。


なぜ多くの元・在日朝鮮人と日本人妻たちが強制収容所に入れられたのか,その最大の理由は,共産主義国家からみて,資本主義国はその思想・制度ともに打倒の対象だったからである。日本から北朝鮮に渡った在日朝鮮人のうち,「一世」の人達は,主に日本の支配下の朝鮮半島で生まれ,日本で長い間生活していた人達であった。また,彼らの子供の世代,「二世」の人達に至っては,生まれも育ちも日本である。


 共産主義国・北朝鮮にとってみれば,憎むべき資本主義の思想が染み込んでいる彼らは,いわゆる「日本人妻」と同じく警戒すべき存在であった。北朝鮮の厳格な身分制「三階層・五十一部類」では,日本からの帰還者は下記の階層に入れられた。



●三階層とは「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」のこと(国民は必ずこの3つの内に所属)

【核心階層】 ①革命遺家族 ②戦死者遺族 ③愛国烈士遺家族 ④被殺者遺家族 ⑤人民軍家族 ⑥栄誉軍人 ⑦朝鮮労働党員 ⑧代々の労働者 ⑨代々の雇農など。

【動揺階層】 ①解放後の労働者 ②中農出身 ③小商人出身 ④手工業者⑤下層接待客業者 ⑥中層接客業者 ⑦解放前の知識人

【敵対階層】 ①地主階層 ②富農出身 ③資本家出身 ④日本統治時代の知識人 ⑤韓国情報機関服務者 ⑥越南者(韓国亡命者) ⑦解放後の入北者,⑧朝鮮労働党除名者 ⑨反党・反革命分子 ⑩スパイ関係者 ⑪安逸・放蕩者 ⑫天道会青友会 ⑬キリスト教信者 ⑭仏教信者 ⑮日本からの帰国者など


こうした「成分」が一人ひとり住民登録台帳に記載され,警察(社会安全省)が保管しており,とくに「敵対階層」は,「一般監視対象」と「特殊監視対象」に分類され,地域と職場で絶えず監視されている。


 韓国情報当局によると,現在,「核心階層」は約500万,「動揺階層」は約1000万人,「敵対階層」は約400万と分析している。以上の「五十一部類」の細分化は,1968年から1970年にかけて実施された「住民登録・成分調査事業」による。この差別化は,金日成から金正日にかけての現在に至るまで,国民を絶対服従させる「暴力装置」として機能してきた。


●自由を奪われた帰国者の絶望

1945年以後,北朝鮮で生まれた人たちは,北朝鮮しか知らず,比較する対象をもっていないが,日本からの北朝鮮に帰還した人々は,こうした窒息しそうな社会に対して不満を抱くようになった。
経済ひとつとってみても,北は比較の対象にならないほど劣っているとわかるが,北朝鮮の人達は自分たちの方が日本よりはるかに優れていると確信しているから,職場や地域において,下手に意見を言おうものなら,「ブルジョワ的」として,たちまち糾弾の対象となった。機を見るに敏な人なら,黙って周囲に従うが,そうでない人は率直にものを言った。そういう人達はたちまち,「自由主義者」「分散主義者」「ブルジョワ思想」などのレッテルを貼られて「耀徳(ヨドク)強制収容所」(咸鏡南道)(15号管理所)に送られ,地獄の世界に投げ込まれた。
 

 在日朝鮮人一世の多くは,日本では肉体労働に従事し,決して楽ではなかったが,アルコールを飲み,歌って踊る自由はあった。ところが,北朝鮮では一言発言するたびに,「偉大なる金日成(キルイルソン)将軍のおかげ」のリフレインを繰り返さなくてはならない。暇さえあれば,革命思想の「学習」「学習」ということで,多くの帰還者の心は閉塞していった。自由に物をいうことが完全に奪われてしまった。


 ストレスから,1960年代に北に渡った高齢者の多くは,希望を失い,帰国後2年以内に多数が他界してしまった。多くの在日朝鮮人が収容所に送られる羽目になったのは1960年代末の「成分調査事業」のころであった。当時,ヴェトナム戦争(1965~73年)のたけわなの頃で,中国では毛沢東のブルジョワ派に対する大粛清(紅衛兵によって3000万人が迫害を受けた),すなわちプロレタリア文化大革命(1966~75年)が開始してまもなくの頃にあたっている。


 次回は韓国への亡命者の安明哲(アンミョンチョル)の証言(『北朝鮮政治犯強制収容所』)から収容者たちがネズミ,ゴキブリ,ヘビ,カエルを食べながら地獄の中を生き,かつリンチなどで殺されていった北朝鮮版アウシュビッツの恐怖の実態に言及してみたい。



カルメンチャキ |MAIL

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