2002年04月01日(月) |
Cherry Blossoms -花見考 |
東京の桜は今年は例年になく早く、もう散ってしまったそうですが、 皆様、お花見をたのしまれたでしょうか?
私が桜を好きなのは、すぐに散ってしまうから。それは人の生そのものであり、そして、恋そのものであるように感じる。
「今、あなたとこうして初めての桜を見てる。来年も、その先もずっとあなたと桜を見れたらいいな」
と思ったことがる。桜を何度一緒に見れるかは、私にとってその人との過ごす時間の経過を感じさせるもの。
桜が圧倒的なのは、あまりにも短く、惜しげなく咲き、散っていくからだと思う。 それがあまりにも刹那的で潔いので、それに心打たれるのだ。
人の人生は短いと思う、しかし、現代において人の一生は、一花咲かせてあとは散ってもいいではないか、と思って生きれるほど、短くはない。 桜には花が咲いたあとの季節がある。その最高潮の時間が永遠に続くことはありえない。だからこそ、その一瞬がかけがいのないものに感じられるのだろう。
そして、その一瞬の幸福な記憶は何かの形でそれぞれの人々の中に残っていく。 それを胸に抱きながら、花が散ったあとの長い期間をどれだけ大事に生きていけるか、それを学びたいと思う。
栄華を極めたベネツィアがその衰退の過程でアルビノーニのアダージョを生んだように、いかに美しく老いていくかは、難しいが、人生の美学の重要なところだと思う。
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