2002年02月28日(木) |
付和雷同―ふわらいどう |
小さい頃、母から付和雷同はよくないと教えられた気がする。 辞書で調べてみると、
付和雷同=自分に一定の見識がなく、ただ他の説にわけもなく賛成すること。 例 「多数派に付和雷同する」
この言葉の由来を知らないのだが、私の中では根拠なく多数派に依拠すること、は良くないとする思考傾向がごく幼いころに、培われた気がする。
まあ、実際の私は人の意見に左右され、流されることも多々ありますが、かなり頑固に自分の意見を曲げないところもかなりある。
要するに、人と人の間は、こういう態度がいいというより、バランスが大事だと思う。人の意見を受け入れることも、自分の意見を貫くこともどちらも時には必要。
さて、日本人は付和雷同だとよく言われるが、そうなのだろうか? 集団主義的なところがあるのだろうか? 私がイギリスに来て、日本人のいないフラットに住んで、楽だと思ったのは、 ここでは、個人主義が徹底しているからだと思う。
困っていたら助け合う、しかし、一切干渉しない。 誰が何をしようと、何をどう食べようと、誰を連れてこようと、それはその人の勝手。まあ、私がフラットメイトに恵まれたせいもあるんだろうが、フラットメイトに対する多少の不満、いらだちは皆個人で解決し、誰かのキッチンの使い方が悪かったりしたら、本人にちゃんとそこは困ると個人的に言う。台所の使い方は、こうしましょう。なんてルールは何一つない。後は寛容になることが肝要。
ここでは、暗黙にこうするのがルール。ということが、日本では結構あった気がする。それを知らないと恥をかいたりして、どうして、そうするの?と聞くと、別に特別な理由もない。 みんながそれをやっているから、という理由ほど、空しいものはないと思う。
まあ実際、10人の人間がいて、その内の9人が、当たり前のようにしていることを拒否するというのはかなり難しいけどね。
何事も、いい面と悪い面があり、個人主義にもマイナスはいっぱいある。 しかし、他人にことを気にせず、迷惑をかけない範囲で、個人の価値・判断基準に徹するというのは、私たちが外国にいて、学ぶことのできる、人生に対する態度だと思う。
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