観能雑感
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2007年01月27日(土) モーリス・ベジャール生誕80周年記念特別公演シリーズ(V) 東京バレエ団 「ベジャールのアジア」

モーリス・ベジャール生誕80周年記念特別公演シリーズ(V) 東京バレエ団 「ベジャールのアジア」 東京文化会館 PM3:00〜

 ベジャールももう80歳なのだと感慨深い。
 持病の状態が思わしくなく不調。ボーっとしていて4階と3階を間違えて座ってしまった。開演間際に解ってよかった。申し訳ない。
 というわけで、4階センター下手に着席。1階席以外は空席が目立った。小品3つのプログラムだからだろうか。

「舞楽」
振付 モーリス・ベジャール
音楽 黛 敏郎
大島 正樹、小出 領子、長瀬 直義、高村 順子、横内 国弘、高木 綾 他

 現代の青年が過去を旅して自らのルーツを目の当たりにするという内容らしいのだが、あまりピンとこなかった。尻の長い白い袍状の上衣に紅い指貫状の下衣、冠をかけた髪の長い女性が複数登場し、これが巫女らしい。舞楽装束と巫女装束とどっちつかずで気になる。それを狙ったのかもしれないが。そもそもなぜ舞楽なのかも不明。音楽に雅楽の楽器を使用しているからなのか。雅楽は中国や朝鮮半島、東南アジアから伝わったもので、本来日本にとっては異国情緒豊かなものだった。それをモチーフにルーツ探索という設定は無理があるような気がする。日本以外の国にとっては失われた音楽なのでルーツ探しの素材としてはやはり不適当。恐らく現代の象徴であるアメリカン・フットボールのユニフォームに身を包んだ4人もなぜアメフトなのか謎。皮膚と同色のタイツ姿の男女2組のダンサーが表現していたものは歴史の流れやいくら年月が流れても消えない伝統なのだろうか。こちらも不明。何かを象徴していると思われるがそれが何なのか全て曖昧ですっきりしなかった。過去に旅する青年役の大島の踊りは見応え十分。

「バクチIII」
振付 モーリス・ベジャール
音楽 インドの伝統音楽
シャクティ 上野 水香
シヴァ 後藤 晴雄 他

 3年前観たときと同じ配役。後藤は今日の方が存在感があり、重厚だった。シャクティはシヴァのいわばエネルギー体なので、本体であるシヴァの存在はゆるぎないものであるべきである。上野はこの役がぴったり。一見奔放に動き回るがが帰着するのはシヴァのところ。

「中国の不思議な役人」
振付 モーリス・ベジャール
音楽 ベラ・バルトーク
無頼漢の首領 平野 玲
第二の無頼漢―娘 古川 和則
ジークフリート 中島 周
若い男 井脇 幸江
中国の役人 木村 和夫 他

 音楽は同名のバルトークのパントマイム作品をそのまま使用。十数年前にTVで観た記憶がある。東京バレエ団の初演は以外に最近で2004年。
 娘役を男性が、若い男を女性が踊ることで倒錯性が原典よりより高まっているこの作品、群舞として暗黒街のチンピラ達が常に舞台の一角を占めており、一見すると邪魔なようだが彼らがいるいことで、この作品中の出来事が怪しげな街の片隅で起こっていることなのだと、常に意識せざるを得ない。ジークフリートは理想と純粋さの象徴で、ここではまさに場違い。いいように弄ばれる。一方中国の役人は常に俯いており無表情で機械的。これが不気味さをいっそう募らせる。娘に対する暴力的な振る舞いに腹を立てた首領たちは何度も彼を殺すがその度に生き返る。抵抗し続けた娘もとうとう観念し、諦めたように白いカツラ(登場時には着けていない)を投げ捨てると、役人はこのカツラに対して想いを遂げ、とうとう息絶える。
 不安感を煽り続ける音楽と通常では理解しがたい現象を目の当たりにし続ける違和感のうちに訪れる終結。性愛の到達点とはひとつの死なのだということ。

 休憩時間を合わせても2時間足らずの公演で、少々物足りなかった。
 

 


こぎつね丸