観能雑感
INDEX|past|will
銕仙会定期公演 宝生能楽堂 18:00開始
狂言 茶壷 野村萬 与十郎 祐丞
見所が落ちつかない。既に役者が橋掛りを歩いているのに話を止めない方々、何しに来たのだ。狂言は能の前座なのか。ウォーミングアップなのか。 能の事が気になって、なかなか舞台に集中できない。なんせ今日のワキはあの方なのだ。曲の内容も若干盛上りに欠けるような気もするが、いや、気の所為であろう。動きも少なくなくはないのだし。落ちはどーんと最後に来る。勝ち逃げだ。萬さんの相手をからかう表情は実にいい。
能 定家 シテ 浅見真州 ワキ 宝生 閑 地頭 観世暁夫
狂言終了後、プログラムにはないが若干時間が空く。その間に入ってくる客多し。ああ、狂言は添え物なのか。 その一人に三宅晶子氏発見。チケットは購入したのか、招待なのか?正面席の後ろの方だった。 しらべが聞こえてくるが、見所はざわめいている。いつも思うのだが中高年層の方がマナーが悪い。話すのを止められないのだ。なんなのだそれは。自分の話しにそんなに価値があると思っているのか?いや、ただ単に配慮のかけらもないのだろう。 笛の音が弱い。枯れているというのとも違う。ただ力がない。これからの舞台が思いやられる。 ワキ、ツレ登場。ああ、やっとこの日が訪れた。今までずっと映像での邂逅でしかなかった宝生 閑氏の舞台をこの目で観られるのだ。長かった。「銕仙」で氏の談話によると、「ワキは目を無暗に動かしてはいけない」と教えられたとのこと。シテの面との調和がとれなくなるからだそうだ。瞬きもできるだけしない方が良いそうだ。大変である。その教え通り、氏はほとんど瞬きしない。素顔だが面のごとし。静謐である。氏も黒目がちであった。親子である。 ワキツレ、危惧していたがやはり10月の矢来能楽堂での公演のあの二人である。宝生家の弟子なのであろうか。この二人は曲の登場人物になっていない。装束を付けた現代人だ。ハコビもただ歩いているだけのように思われる。ワキとツレとの間に存在として差異がありすぎる。ワキ不足は深刻なのだ。氏が某誌で答えていた通り、人数だけはなんとかなるが、質がともなっていないのだ。ああ。 宝生氏の言葉は明瞭で、直接こちらの心に響く。見所の者を舞台の時間に引き込んで行く。後姿までまったく隙がない。 シテ登場。なんとういうか、重さがない。悪くはないのだが、存在が希薄だ。観世寿夫氏の「自分とという存在全てを賭けて舞台に立つ」という気迫がないのか。地謡、地頭の身体だけが動いてやや気になる。何か意味はあるのか?前列は姿勢はいい。声、やや物足りないような気もするが、こんなものなのだろうか。全体的に小さく纏まった地謡であったように思うが、そう酷くはなかったように思う。可もなく不可もなくか?いや、不可はややあるか…。 シテの居グセ。ただそこにあるということは、どれほど困難なのか。この時、里の女は式子内親王になる。ワキの言葉が美しい。所作にもまったく不足なし。例の如くワキ柱が邪魔をして控えている姿を観ることができない。なぜ一人でチケットを購入すると、この席になるのか。 間が登場。やや眠気を誘われる。やはりワキは見えず。脇正面席を購入すれば良かったか。このとき本日購入した豆本を見る。初めて購入した謡本である。 シテの序ノ舞。悪くはない。しかし希薄だ。なぜだろう。舞を観ながらなぜここにこの舞が挿入されているのかを考える。シテの安易な内面描写などでは絶対にないはずだ。もちろん。喜んで舞うというだけでもない。観世寿夫氏の著作に度々触れてあったが、まだ自分の実にはなっていないらしい。今思うのは、舞台で起こっていることだけでなく、己についても内省する時間であるということだけである。 舞台上の時は夜だったはずだ。凍てつく夜。しかし、そのような感覚は遂に得られなかった。夜になって雨は上がったのだろうか?確かなものが何一つ掴めない。 シテが再び塚に消え、葛が絡まり身を縛される。すべてを見届けて僧は去って行く。その時の後姿が登場時と異なる。重荷が消えたようなある種の清々しさ。 今回初めてシテが橋掛りにかかっても拍手がなかった。作り物が退場した時に拍手が起こる。最初から耳障りな音を聞くよりはずっといい。しかし、囃方が退場する前に席を立つのは如何なものか。ほんの1分程度の差であろうに。現代人の悲しさか。 前場で前列の中年婦人のケータイが鳴る。舞台途中で席につく人が多い。 舞台が始まったらドアを閉めてしまってもよいのではないか?あまりにも迷惑だ。とくに扉に近いところに座っているとなおさらである。 終始ワキの演技に感嘆させられる。見事である。まさに人間国宝に相応しい。もっとじっくり拝見したい。現在シテ方にこのような方がおられないのが残念至極である。 外に出るとどこかで見たような男性が「何かが足りない」と呟くのを耳にする。どこかの大学の研究者だったように思う。TVで見た記憶がある。人違いでなければ。 補助席まで出してほぼ満員。年齢層が高い。一見盛況な能楽界であるが、寿夫氏が20数年前に抱いた危機感は、全く払拭されていない。 私にできるのは、ただ観続けることだけである。
こぎつね丸
|