天変地異雑記 - 2004年10月24日(日) 最近、大きな自然災害がいくつか相継いで起こりましたね。本当にどうしてしまったのでしょうか。被災された方と被災者につながる方、それぞれが心を痛めておられることと思います。 何も出来ない自分が歯がゆいですが、どうぞ、ご自愛くださいませ。 とある、阪神淡路大震災を経験された方が、日記に書いていらしたこと。 それにしても、報道関係者だけは地震や水害の直後にヘリを飛ばすのを止めてほしいです。倒壊した家屋の下敷きになった人の声がヘリの騒音で聞こえなくなるのですよ。 阪神大震災の時にもこれで助けを求める人の声がかき消されたんだから・・・。 うーむむむ。なるほど。 近畿圏に居ながら、それに気付かなかった想像力の欠如を、深く反省。 災害医療を考える際、抜きにして語れないのがトリアージ(※注1)です。 〔※1:triage。えり分ける、分類するという仏語から来ています。負傷者が同時発生した場合、患者さんの状態に応じ、搬送先を決定したり、治療の優先度を決めることを言います。〕 世の中にはトリアージ・タグ(※注2)というものがありまして。 〔※2:こんなのです。一定学年以上の医学生なら誰でも知っている筈。国試にも出る。〕 黒い印は『死亡群・不処置群』とされています。生きていたとしても、助かる見込みの無い人に対しては、何もしないのですね。 学生時代、初めてトリアージについて習ったとき、納得する一方で、例えようもない違和感を感じたことを思い出します。非常時だから仕方ないけど、放置するの…?という、すこぶる感情的な反応です。 医療をおこなう立場としては、プラグマティズム(ん?ユーティリタリアニズム?) 的にならざるを得ないのですが、昔から『命というものは尊くて、平等な物だよ』という教育を受けて来たことが、それを選別するということに対して、罪悪感(のようなもの)を抱かせるのかも。 尤も、公平であろうとするからこそ、”助かるか否か”という明確な基準に従って、トリアージをするのであろうとも考えられますけれど。 最近この辺にあまり違和感を覚えなくなってきたのは、成長の証し? フツーの感覚を忘れた人種が出来上がる構図、だったりして。(あーあ) 先日の台風23号で、同期のひとりY先生@一緒に外科ローテ中のおうちが、床上浸水の被害に遭ったそうです。 いえ、実家ではなくて下宿のほう。大阪市内のマンションのしかも6階です。 …ん?6階?? …Y先生(※注3)(泣)…。 〔※3:彼女の名誉のためにおことわりしておきますが、Y先生は非常に能力の高い優秀な研修医です。でも、それを鼻に掛けたり、人を見下したりは決してしません。いい子だー。何より、ネタも一杯提供してくれるしね(笑)〕 ...
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