GOKURAKU Diary
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2004年06月09日(水) |
思いがばらばらでまとまってません |
小学生による小学生の殺人事件。 驚くには驚いたが正直いえば「ここまできたか」と冷静に思う自分もいました。 例の駐車場での幼児突き落とし事件など、残虐事件の低年齢化に馴れてきてしまっているのでしょうね。
今回の事件は、殺してしまったことが「とっさの行動」ではなく「明らかに計画的で意図的」というのが恐ろしい。しかも「しばらく待って死ぬのを確かめた」とまである。ここだけ聞くととても小学生の行動とは思えないほど残酷だ。
憎い相手を「殺したい」と思うことなんて誰しもあるだろうけど、実際に実行する人っていうのはまずいない。なぜならそこで必ず心に歯止めがあるからだ。 「人の命を奪ってはいけない」という良心の歯止め。そして殺してしまったら憎い相手は消えるだろうがそれと同時に「自分の未来も消える」という想像力による歯止め。そして「殺すという行為は怖い」という人間本来の恐怖心からの歯止め・・・等々。 歯止めは唯一じゃなくいっぱいある。 でもどのひとつもこの加害者少女の暴走を止められなかった。何故?
「バトル・・」の映画が問題になり、でもそこにすぐ結びつけるなんて短絡的すぎる、という意見もあるだろう。 でも私個人としてはやっぱり問題あると思います、この映画。 まだまだ発達未満の幼稚な脳にとって、こういう映画に強い影響をうけたらば「殺すという行為」を怖いとは思わなくなるのかもしれない。
でもまずは、こんなことをしたら結果がどうなるのか、と考えられる力や想像力をしっかり育てなければならない。 それって読み書きのようにただ教えることじゃないよね。 いろんな人との交わりやシチュエーションの中で身につけていくものだと思うのだけど。
どうしたら守れるのだろう、自分の子供を。加害者にも被害者にもしないのはどうしたらよいのか。 子供を育てるのって本当に難しい。 いま世間のほとんどの親が思っているだろうことを私もずっと考えています。
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