Underground


2002年04月17日(水)
たまってるぅぅー

 描きたいものがたくさんあるけどためまくってます。
しげんさんとかしげんさんとかしげんさんとか(末期)。
下書きのまま放置したあるものもごろごろしてるしなァ。
キリバン消化月間と決めてるからこっちがんばるのですが。
遅筆なのは致命的かも。

 TS本リベンジしたくてたまらん。
またこっそりつくろうかな、コピー本。
ちまたはFEフィーバーだけどまた乗り遅れてます。
きままにきままに。


カップル考について一言物申させて。 
シゲンとジュリアは、義理の兄妹。ゆえに恋愛に陥ることなど考えられない、という記述をよく見かけます。
いいじゃないですか。
当然の如く恋に落ちる二人より、普通なら恋し合う事など考えられない二人が恋に落ちるシチュエーションに萌えるのです。義理の兄妹、許されない恋愛。大いに結構。万々歳。

ガロがいるからいいじゃない、との記述もよく見かけます。
ちょっと待てぃ。
ガロはガロ、シゲンはシゲンです。ジュリアにとっての「シゲン」の代わりは誰にも出来ないのです。・・・というかAさんはBクンが好き。CさんもBクンを好き。そしてDクンはAさんを好き。だったらAが妥協してDと付き合い、BとCが付き合えば八方丸く収まるっちゅうもんでもないでしょう?

シエラはジュリアより可哀想な境遇だから・・・・。ジュリアはシゲンがいなくても大丈夫だけど、シエラは大丈夫くないの、という記述もよく見かける・・・・というか、シゲン×シエラを推す人がシゲジュリはちょっと・・・という時には大抵この理論を持ってきます。
・・・・マジですか・・・?
恋に破れた女は、その瞬間誰もが世界一不幸なのです。そもそもブラートでのシエラの会話及びグラナダでのジュリアの会話は、どちらも要約すれば「シゲン、貴方が私の世界なの」って事でしょう。振られるって言うことは、その「私の世界」を失う事です。それから考えれば二人は同じ土俵、同じ穴のムジナ。どちらか一方が失恋した際により不幸であるということはあり得ないと思いますがね。
というか、不幸さ自慢で恋愛を語るのは止めようや、と言ってみたりして。

というよりも、己の好きなカップルの正当性を主張するために、相手のカップルが如何に正当性に欠くものかと引き合いに出しながら理屈を捏ねられるのは、ちょっと嫌なの。

結論(?)。
誰でも立ち入ることのできるカップル考には、自分の好きでないカップルについては、色々言いたいことがあってもぐっと堪えて言及しないことが、軋轢とトラブルを防ぐ一つの方法だと思いますがね。
例えば、だ。新しいサイトさんを訪問し、そのサイトさんの傾向を伺うためにカップル考を覗いたところ、「シゲン×ジュリア」の項目があるわけよ。それで「あ、この人もシゲジュリ好きなのね、わくわく」とか心を弾ませうきうきしながら目を通したところ、「私、シゲジュリって好きじゃないんだよね」とか「義理の兄妹って普通恋愛感情もてないでしょ」とか「私、シゲン×シエラだからシゲジュリはちょっと・・・」とか書いてあると、
「好きじゃないなら書くなよ・・・頼むからーーー!!!」
とPCの前で絶叫したくなりますわ、わたくし。


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