2011年01月13日(木) |
進化しすぎたハッピーエンド主義? |
以前、SNSの日記で、息子がハッピーエンドの小説や映画しか受け付けないという話を書いたのですが、なぜかサイトの日記に転載するのを忘れてました。 それが、これ↓なんですが。
去年の3月の日記から転載です。
******************* 『完全ハッピーエンド主義』
ネット小説の読み手の方のなかには、作品がハッピーエンドかどうか事前に知りたがる人が意外と多いらしいですね。 私なんかは、最初からハッピーエンドと明記してあたらハラハラドキドキしながら読めなくて楽しみが減りそうな気がするほうなので、ハッピー・エンドかどうか明記しておいて欲しいと思う気持ちが、ずっと、ちょっと不思議(悪いとかじゃなく、純粋に不思議なだけ)だったのですが。
考えてみれば、うちの、高校生の息子も、ハッピーエンドしか読まない主義の人の一人でした。
たまに、私たちが読んだ本の中で、これは息子にも面白いかもしれないと思ったものを試しに勧めてみると、必ずどんな結末だったかどうかを確認してきて、自分の基準を満たすハッピーエンドだった場合のみ、じゃあ読んでみようかとなるのです。 先に結末を詳細に聞いちゃってから読んだりしたら、読む楽しみが台なしになりそうなものなのに、そうじゃないらしいです。
図書館で、夫や私と息子が共通で読みそうなライトノベルなどを借りたときには、 「お父さんかお母さんが先に読んで、俺が読んでも大丈夫そうだったら次に貸して」と言います。 PGシステムですね。
自分が読む本を親に事前に検閲してもらって選んでもらうなんて、私だったら絶対嫌ですが(選んでもらった本がどんなに自分にあった良い本揃いでも、親に検閲されること自体が嫌)、息子は、そうは思わないらしいです。 地雷回避のためなら親をも利用する派です。 とにかく気が小さくて慎重派なので、うっかり地雷本を読んでしまうという危機の回避のためなら、親に予め下見して貰って安全を保証してもらった無難な本だけ読むほうが、よっぽどマシということのようです。
しかも、彼にとってのハッピーエンドは、本当に何もかもハッピーに収まる純然たる大ハッピーエンド、悪役以外の誰もかもが四方八方すべて幸せになる完全無欠のハッピーエンド限定なのです。
一見ハッピーエンドっぽい雰囲気で終わっても実は何か未解決の問題が少しでも残ってるとか、どんなに前向きな雰囲気で〆られていてもハッピーエンドかどうかは実は解釈によるとか、そういうのは、息子用語では『微妙エンド』と言います。
例えば、宝探しのアドベンチャーなら、金銀財宝を発見して、仲間全員で仲良く山分けして、全員大金持ちになって、仲間内で恋が生まれていた場合は誰もあぶれず全組カップルが成立して、みんなで一生楽しく過ごしました、みたいなのが、彼の期待する、真のハッピーエンド。
宝物は見つかったけど仲間割れで殺しあって主人公だけお宝独り占め、なんていうのは、もちろん論外。 見つけた宝物が、金銀財宝だと思ってたのに実は『美しい景色』のことだったとか、そういうのもダメ。 『宝物は見つからなかったけどもっと大切なものを見つけたよ、それはボクらの友情さ!☆』みたいなのも、どんなに前向きでハッピーな雰囲気で描かれていても、『微妙エンド』。
宝物は、絶対に見つからなければならず、必ず期待通りの金銀財宝でなければならず、実は他に持ち主がいて感謝されるとか文化財だから博物館に収めなければならなかったとかじゃなく、ちゃんと自分のものにできて、それを得たおかげで思いっきり幸せにならなければダメなのです。
宝物は見つかって金持ちになっても、恋愛が三角関係で一人あぶれちゃったら、それはもう、ビミョー。 仲間が一人行方不明になったままだったり、喧嘩別れしたままだったら、主人公がいくら幸せでもダメ。 仲間たちは全員幸せになったことが描かれていても、途中で主人公たちの逃走を助けたために危機に陥った親切な一般市民とかの末路が不明のままだと、それもビミョー。 脇役端役にいたるまでちゃんとフォローして、みんなちゃんと幸せになれたことを確認させて欲しい。
しかも、イラストの好みもものすごくうるさくて、特定の数人のイラストレータが表紙を書いている本以外は、たいてい表紙段階で却下。
ここまで注文がうるさいと、なかなか読める本がありません(^^;) そういうわけで、彼は、本をあまり読まないのです。 読書が嫌いなのではなく好きなのですが、安心して読めそうで、かつイラストも好みに合ってる本なんてめったに無いので、読めるものが見つからないらしいです(^^;)
こういう子がネット小説を読むとしたら、ハッピーエンド表記は確かにありがたいだろうなあ。 うちの息子はいくらなんでも極端だけど、ここまでいかなくても、ハッピーエンドのものしか読みたくない人は、けっこういるんでしょうね。
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んでもって、今日の日記は、その後日譚です。 その、映画好きでハッピーエンド好きな息子が、完全ハッピーエンド主義をこじらせすぎて、なぜかゾンビ映画に行き着いてしまったという……(^^;)
先日、『ロミオとジュリエット』がテレビで放送され、何でも好きな俳優さんが出ているということで、見ようかどうしようかちょっと迷って、 「でも、ロミオとジュリエットってバッドエンドなんだよね?」と、私と夫に確認するのです。
バッドエンド……。 まあ、たしかにそうなんだけど……。 たしかに、絶対にハッピーエンドでないことは確かなんだけど、そんなふうに単純に割りきってレッテルを張ってしまっていいものかどうか……(^^;)
夫も同じことを思ったらしく、一瞬言葉に詰まって、 「うっ……まあ、ハッピーエンドではないけど……受け取り方にもよるんじゃない?」と言葉を濁すと、息子はすかさず、「あ、そういう微妙なのは全部、俺にとってはバッドエンドだから」と断言。 「俺の『ハッピー判定』は厳しいぜ!」だそうです(笑)
彼によると、たとえ彼らの駆け落ちが成功したとしてさえ、そんなややこしい事情があってはどうせ幸せにはなれないだろうから、ハッピーエンドとは言えないのだそうです。 それどころか、たとえば勇者がモンスターを倒してお姫様と結婚という神話時代から定番の『めでたしめでたし』でさえ、 「そんなの、育ちが違うんだから、どうせうまくいかないよね」という理由で、もはやハッピーエンドとは認められないのだそうです。
とすると、彼にとっては、もう、恋愛ものには純然たるハッピーエンドは存在しえないことになってしまいます。 高校生にして、すでに恋愛に全く夢を見てません(^^;)
そんなわけで、あまりにも『ハッピー判定』が厳しすぎる結果、彼にとって、理想のハッピーエンドというものは、もはや実在しない、見果てぬ夢となってしまったらしいのです。 どうせ何を見ても、完全にハッピーエンドということはあり得ないのだと、悟りを開いてしまったようです。
そんな彼が行き着いたのは、なぜか、ゾンビ映画。 ゾンビ映画なんて、まず間違いなくバッドエンドなのに、なぜ? ハッピーエンドのゾンビ映画なんて、見たことないんだけど。
そう言うと、自分でも、 「そういえばそうだね。ゾンビ映画って絶対バッドエンドだよね。なんで俺、そんなの見るんだろう」と、ちょっと首をひねって、考えた結果、中途半端にハッピーエンドを期待して裏切られるのが嫌で、それくらいなら、どうせ絶対にバッドエンドだと最初から分かっているゾンビ映画に行き着いたんだということで納得していました。
いわゆる『ハッピーエンド厨』をこじらせすぎたあげく、いつのまにか180度回転して、なぜかゾンビ映画に行き着いてしまったという、不思議な現象です(^^;)
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