時々管理日誌
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2006年12月04日(月) 中学生バトン

K.Sさんにバトンを回していただきました。
K.Sさんの回答は こちら

『中学生の頃なんてとりたてて良い想い出もないし、そもそもあまりに昔のことなのでほとんど何もかも忘れちゃってるし、特に懐かしくもない』……なんて思っていたけど、思い返してみれば、けっこういろいろ憶えていて、やっぱり懐かしい気持ちになりました。

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中学生バトン

○中学時代のあだ名

小学生の頃はいろいろあったけど、中学では特に無かったような気がします。
普通に苗字呼び捨て、または苗字にさん付け。


○制服はどんなの?

紺のジャンパースカートに襟なしブレザー。白いブラウス。
今みたいにおしゃれなのじゃなく、昔の普通の公立校のダサくて生地も安っぽいやつでしたが、けっこう気に入っていました。
高校になっても、まだ着られたし、気に入ってたので、たまに気が向くと着ていってました。
(高校は服装自由で、一応『推奨服』というのはあったけど購入は任意で、各自が好き勝手な服を着ていたので、他校の制服っぽいものを着ててもそれほど奇異ではなかった。推奨服がブレザータイプだったので、『憧れのセーラー服がどうしても着たい』というだけの理由で勝手に他校の推奨服を着てくる女子までいた。今思うと、すごい話だ……)


○告白したことある?

ないです。


○中学生時代、仲良しだった人とは今でも仲良しですか?

年賀状をやりとりする程度。


○部活は何をしてましたか?

新聞部。
最初は顧問の先生がほったらかしで好きにやらせてくれてたので、各部員が一人一人好き勝手に自分の書きたいことを書いていたら、私が、特にそのつもりはなかったのに何か反体制的なことを書いてしまったらしく(本人には別に学校を批判したり大人に反抗するつもりなんか何もなくて、普通に書きたいことを書いてただけだった)、顧問の先生が教頭に呼び出されて絞られ、それ以来、先生が企画内容や紙面割りを事前に細かくチェックしていろいろ采配してくれる体制になってしまったです……(^_^;)
それ以来、新聞はちゃんと新聞らしい体裁になり、部員はちゃんと新聞記者みたいな取材をするようになり、それはそれで楽しかったけど、各自が好き勝手に展開したワケの分からんオレ主張(『美について』とか『文明について』とか『マンガについて』とか(笑))を持ち寄ってホッチキスで閉じ合わせて『新聞』と称して配っていた最初の一年間は面白かったなあ……。(でも、その最初の一年に配ってた『新聞』は、ぜんぜん『新聞』じゃなく、ただの『各部員の個人的な主張だの芸術論だのをベタ書きした紙を持ち寄ってホッチキスで綴じたもの』だったけど(^_^;))


○当時ハマッていたものはありますか?

何が中学生の時のことで何が高校生の時のことか、あまり区別して憶えていないので、もしかすると高校生の頃だったかもしれないけど、パックマン。
アーケードのじゃなくて、ファミコンでもなくて、PC用ゲームでした。
パソコン雑誌の別冊付録としてついてきたマシン語のプログラム(今ならCD-ROMがついてくるところだろうけど、当時はそんなもの無かったので、プログラムを延々と印刷した小冊子が付いてきた)を根性で手入力しました……(^_^;)
あとはペーパーフラワー手芸とか?
地味な日々だったなあ……。
あ、そうそう、アニメ『ドカベン』に夢中でした(笑)。殿馬君が好きだったv


○当時、誰かと大喧嘩したことはありますか?

4人きょうだいだったので、毎日が阿鼻叫喚のバトルフィールドでした。


○好きだった科目は?

理科。特に生物と地学。


○嫌いだった科目は?

体育。特に球技と短距離走。かけっこはいつもビリ。
でも、短距離はいつもビリだったけど、持久走では学年トップクラスでした。
短距離の時も持久走の時も、フォームやペースがほぼ同じだったので……(笑)。

あと、家庭科。料理は、共働き家庭の長女として家でいつもやってたからわりと得意だったけど、機械オンチなのでミシンが使えなくて課題作品が完成しなくて泣きました……(T-T)
しかも、結局作品を提出できなかったので通信簿で五段階評価の『1』を貰いました……(T-T)

あと、国語も、嫌いというほどじゃないけど、意外とあんまり好きじゃなかったです。
国語全体の成績は良かったんだけど、漢字の書き取りが死ぬほど苦手でした。今でも、漢字は、読めるけど書けません。パソコンがあって良かった!
それと、実は作文や読書感想文も大の苦手でした。
実際にあったことの作文じゃなく、詩などのフィクションを自由に書かせてもらえた時だけは、俄然活き活きと張り切りましたが。


○塾は行ってましたか?

中三の夏に短期の夏期講習に行っただけ。
塾に行ったのは、後にも先にもその一回だけです。
夏期講習に行ってみたらタルかったので、『勉強なんか別にわざわざ寄り集まってやらなくても、家で一人でやればいいだけじゃん、そうすれば余計なお金もかからないし、通塾のための時間のロスもなくて合理的!』と思って。


○「あイター」な出来事はありましたか?

何しろ大昔のことなんで、よく覚えてないんだけど、毎日がアイタタターだったような気がします(^_^;)
青春はアイタタだ!(笑)

あ、思い出した! 先生に叱られて、出席簿で頭を叩かれてアイタタター!
その時、一緒に叱られた友達はしゅんとしたのですぐ許してもらったけど、私は感情を表に出すのが恥ずかしいからわざと平然としてたら、態度が悪いと怒られて教室の前に立たされた!
立たされてるときにも、注目されて恥ずかしかったので照れ隠しにニヤニヤ笑って、反省が足りないと、また怒られた!
でも、結局、最後まで無表情&薄笑いを貫きました。バカだ、当時の私……。
いくら当時でも、中学生にもなって女子で先生に叩かれたり立たされたりしたなんて、うちの学校では私くらいでしたよ……(^^ゞ


○当時、流行っていたテレビアニメは?

かなりはっきりと年齢がバレる設問ですね(^_^;)
私は隠してないからいいけど。
当時はまだあまりオタクじゃなかったので、あんまり覚えてないんですが……。
宇宙戦艦ヤマト(再放送)。ドカベン。
999も、テレビ版はもう始まってたかな?(映画は高校生になってからだった)


○ちゅうがくせいを携帯電話で変換するとトップに何がきますか?

すいません。携帯持ってません(^^ゞ


○実は不良でしたか?

いいえ。超真面目でした。
でも、バカ真面目の度が過ぎて、ある意味、問題児だったかも……。
本人、わざわざ大人に反抗しようとか学校や社会を批判しようとか言う気はさらさら無いにも関わらず、ヘンなところが妙に素直すぎて他の子が疑問に思わないようなことを疑問に思ってしまったり、精神構造が幼稚すぎて普通は思っても口に出さないことををはっきり口に出してしまって、結果として問題発言多発、大人に喧嘩売ってんのか、みたいな……。
『決して不良ではないけど、先生から見たらたぶん天然困ったチャン?』なタイプでした。


○異性を異性として意識してましたか?

う〜ん、相手によっては。ほとんどの人は意識してなかったけど好きな子は意識してた。


○その頃の将来の夢は何でしたか?

何も無かったですね〜。お先真っ暗なお年頃でした。
強いて言えば、大人になる前にこの世から消えてなくなる(病死とか自殺とかじゃなく、あくまで自然に『消える』)ことが夢だった(笑)。
どうせ1999年に世界が滅びることになってたし(笑)。


○一番クラスがまとまっていたのは、何年生のときでしたか?

さあ……。全学年通して常に集団行動が出来ないはみ出しもので、クラス全体のまとまりなんて気にもかけずに一人で勝手にはみ出してたので、ぜんぜん分かりません。


○忘れがたい思い出はありましたか?

前述の、先生に出席簿で叩かれた事件とか新聞部の件の他には、告白もせずに立ち消えさせた初恋(超ありがち!)とか、合唱コンクールとか、後は、教室の窓から見た空、校庭のイチョウの木、屋上から見た街の景色、通学路沿いのドブ川のやなぎ並木や麦畑の土の色、登下校の折々に見た花や小鳥とか、いろいろ。
毎日、一人でぼんやりと窓の外の景色ばっかり見ていました。
人間よりも木や花や鳥や空にばかり興味が向いていた時代でした。


○中学生に戻っていただく5人はどなたでしょうか?

年齢が分かる質問があったりするので、例によって、こちらから回すのは遠慮しておきます。
でも、知り合いのみなさんの中学生時代にはすごく興味があるので(その年代には、その人の原点があると思うんです)、回答してもいいと思う方は、ぜひ拾ってください(^^)


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