綺麗事 - 2006年01月31日(火) 大体ね 自分のこたぁ棚に上げてんだよ しかも事件の起きた後に あぁだこうだって 俺はね 間違ってでもいいから こうであろう、ことを“先”に言っていきたいね 前に島田紳助が暴力沙汰を起こしたときに まだテレビ復帰するかどうか微妙なときに 自分、もう紳助はテレビに出ないだろうって その方がいいって書いて でも紳助は復帰して 結局、自分の言ったことは当たらなかったけど でも、それでも 自分は間違ってないと思うもん やっぱ出ない選択肢も 正解だと思うし 大事なのは、 結果を知って あぁすりゃ良かったとか言ってんじゃなくて 誰かの評論の後に評論すんじゃなくて 自分のその時その時の考えを持つことが 大事なんだと思うね (モノを作る人はね) 勿論、人の意見に傾けるのも 大切なんだけど 事件にしろ映画にしろ何にしろ 何かを評論する上で 考えをもつ上で、そして発表する上で 一番大切なモノは何か? ってあって さっきの紳助の問題にしても 何で自分が“間違ったのに” “間違って無い”って 言い切れるかというと それは紳助のことを好きで 書いたからなんだな 恋愛じゃなくて、愛を持って 紳助のことを考えて書いたからだと思う 酷評したって 何したっていいと思うよ 根底に愛があれば 愛情って、この歳になって すごくいいもんだと思う 愛情の中では、発言は自由なんだ ゲロが出そうだけど 本当にそうなんだ
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