いつもの言い訳 - 2005年10月14日(金) 何年も書いてるんで、時どき 読んでる方にコメント頂戴したりするんですけど あまり言いたくないん(nine)ですけど 自分、ここの中で「詩」みたいなものを書くでしょ 「詩」みたいな でね、その詩に 好感を抱いてます的な 読み続けてます、みたいな あまり言いたくないんですけどね 言われたり 会ってもいない人から そういう嬉しいコメントを頂くんです こんなん書かずに本題いきたいんですけど ありがたいですよね 嬉しいですよ 文章のどこを好きになってくれたか分からないけれど 何かしら伝わったってのが そこはもう、自分も普通の人なんですけど 普通の人と同じように嬉しい で、ね、 本題はここからで 言われたとき、ちょっと複雑、というか もみ上げ辺りに引っかかるのが 「詩」とか「日記」とか好きです、で 自分「詩」とか「日記」を書いてるつもりが 全く無いんです ホントに 詩とか日記とか断言されちゃうと ちょっと焦るというか 精神的にハードル上がったな〜と…なんとなく 実際、自分でここのコトを表現するのに いつも「ここ」とか「これ」とか「文章」とか たぶん以前のやつ読み返してみても4、5年 始まってから 「日記」や「詩」という言葉は一度も使ってないんです そもそも日記も詩も 希望や同情を、押し付けて煽る媒体な気がして かなり嫌いなんですけど 自分は、今までず〜っと 言葉で遊んでるだけで 「言葉」の強さ 「言葉」の恐さ 「言葉」の無意味さ 遊びながらでも研究して 「言葉」に「言葉」で勝ちたいんですよね だから 読んでて何だかよく分からないときあるでしょ 「詩」なのか「日記」なのか どっちでもないんですよね 「レポート」なんですよ 研究っていうなら 自分にお題を課して 自分に提出する「レポート」ですね レポート うん そうかそうか「レポート」だわ だとしたらタイトルも マイノリティーリポートみたく 衒学ファンタジア・リポート 「知ったかぶりが夢見心地で書いたレポート」 みたいな なかなか素敵な(笑)でも長いか… 余談も余談ですね 気持ち的には、例えば 水と油を強引に混ぜたいってのがあって それは文章だけじゃなく 映像も たぶん音楽も作らせたら、そうで なるべくオリジナルにしようという意識 というか驚かせたいだけなんだけど 混ざらないと言われてたものを なんとしてでも混ぜたくなったり 結果混ざらなくても その過程を楽しんだり 楽しんだ過程を掘り下げてみたり 自分のやる事に自信が無いから そうやってノンジャンルにごまかしてる的な部分は どっかにあるのかもしれないけど やっぱ、ジャンルに縛られてやるのは 堅苦しいし ごまかしてると言われようと 自分は無理ですね そもそもジャンルだって誰かが作ったもんだしね だから「詩」とか「日記」、とは 考え方も、言葉の持つ雰囲気も 全然違うんです ただ 人がここのコトを言うときに 日記、詩、以外に 他に言いようもないってのも分かるんですけどね 「レポート」は自分の中では しっくりくるんですけど 人から 「あのレポートさぁ」みたいなこと言われても 「はぃ?」(笑) 日記でも詩でも何でもいいですわ 自分のレポートを楽しめる そこまで観れる人は いい感性してますよ という自画自賛で終わる 能ある鷹も、爪を隠しちゃいられない、今日この頃。 寒くなってきました。
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