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| 2003年04月30日(水) |
Tiger in my Love |
変化や速度をおそれてはいけないよ やせ我慢ではなく ぼくは年をとるということはすばらしいと思う それこそ新しい経験さ 思い出も喜びも攻撃性も欲望も静けさも徐々に会得したものだ 若い日々の行動を忘れてしまうことも新しい経験だよ
みんなどんどん何でも忘れてゆき ただ欲望だけが変わらずあり そこを通りすぎる名前だけが変わっていった (岡崎京子『ヘルター・スケルター』)
消費物であふれかえった社会。 欲望の形は誰かにすでに与えられており、 その中から選ぶだけであることがほとんど。 誰かが指定した「楽しいこと」を欲望することがほとんど。 実際に楽しい場合もけっこうあるのだけど、 そういう楽しさだけでは飽きてしまう。 死ぬまでそれだけでは飽きてしまう。
それとも、飽きずにいられるように、新しい「楽しいこと」を誰かが用意してくれるのを追いかけつづけるか? 消費される欲望にあふれたこの社会でなら、それでも楽しめるかもしれない。 でも、すでにそれが楽しいとは思わないことがあるのはなぜだろうか? そう思う自分をごまかしてこれからいつまでも生きていけるだろうか?
それは無理だ、というより、嫌だ、と俺は思う。 誰かに与えられたのではない「つらぬけるもの」を持ちたい。
(といっても、「楽しいこと」を消費したいと思うこともあり、でもそれだけでは嫌だ、という話。これもやはりバランスの問題だ。「バランスの問題だ」というのは便利な言葉だな)
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