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2003年04月13日(日) 大学で何を学ぶか

大学のある友人が進路について非常に迷っている。
(まあ、たいてい誰でも迷うだろうけど)
俺は俺の意見を述べることしかできない。
結局は本人が決めるしかないことだから。
キーワード的に書くと、「リスクとリターン」の問題について悩んでいるようだ。

『失敗も挫折も行きづまりもみな、自分により適した居所を見つけるまでの試行錯誤の一コマという考えを許容するくらいには、この平成の成熟社会はフレキシブルにできているはずだ。人生、これをクリアすれば後はすべてのテストから解放される大学受験みたいなゴールはない代わりに、生きているかぎり、やり直しの機会は幾度もやってくる。
 もっとも忘れてほしくないのは、同じ試行錯誤に費やすにせよ、やはり大学時代ほど余裕を持てる時期はもうとうていないと、きみたちの先輩のほとんどが回想しては悔やんでいることだ。単位目当ての出席や試験対策以外、ほとんどの時間を自由に生きてよく、「世間」もそれを許してくれる、まず一生でいちはんの猶予期間・・・・・・。』
(浅羽通明『大学で何を学ぶか』)

理想としては、この引用のようなことを言いたい。
つまり、「リスク」をとってもいいじゃないか、と。
だが、いざ実践するとなると、なかなか簡単ではない。
だから、軽々しくは言えない。
リスクをもしとったとして、そのあとに俺が手伝えることはほとんどないだろう。
いや、考えてみれば、他人のためにしてやれることなど、もとからほとんどないのかもしれない。
困っている友人、悩んでいる友人を見て、励ますことは(少なくとも表面的には)できても、実際的な力になれるケースは、ほとんどないように思う。
そして、何もできない自分にいつも苛立つ。
だからといって、何かをしてやれると思うことも傲慢でしかない。
そういうのを認めたところから出発していつか戻って来られるだろうか?
いつか誰かに苛立ちでも傲慢でもなく自然に何かをしてやれるだろうか?
あるいは、今までに、そうできたことがあっただろうか?
わからない。
だが、そうであることを願う。


sora |MAIL