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『今の貴女の世界が、どれだけ中途半端で不自由か考えてごらんなさい。遠くの声が聞こえ、遠くのものが見えるのに、触れることはできない。沢山の情報を与えられても、すべてが、忘れられ、失われるしかない。情報の多さで隣の人も見えなくなる。人はどんどん遠くにいってしまうわ。何故、そんなに離れて、遠ざかっていこうとするのかしら? ピストルの弾が届かない距離まで離れようというのかしら?』(森博嗣『すべてがFになる』)
色々な情報が氾濫していて、その中から取捨選択しなければならない。 少しスピードを落とすと何かに置いていかれるのではないか、という雰囲気さえある社会。 その中で確保する自分のペース。 ほとんどのことを実際に知ることはできなくて、ただ知った気になる程度で終える。 どれくらい一つのことにのめり込み、時間を費やすか。 その割合の大きさが、「主軸」とそうでないものの差。 ただ、いわゆる「豊かな人生」というものを考えたとき、 主軸だけではおそらく「豊か」ではないだろうと思う。 だから、「教養」や「趣味」というものが大事になる(一般論だが)。
しかしながら、最近、主軸のほうに少しかまけすぎているように思う。まあ、別に自分がしようと思うことをしているだけだからいいといえばいいのだけど、バランスも考えないといつのまにか煮詰まってくる。何事もバランス、バランス。などと書くのは簡単だけど。まあ、一つのことばかり見て他のことを見失わないようにという自戒かな。見失っているつもりは今のところないが。これから、主軸に収束していくように打算された事柄が増えては行くのだろうけど。目標に向かうということは、そういうことも含む。でもやはり時々、自分の立ち位置を確認し、周囲を見渡したい。そういう作業は大事だ。加速しすぎて暴走するのは良くない。
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