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2002年02月14日(木) |
留まる過去、進む現在 |
人の思い。人の記憶。その集合としての歴史。 何かがどこかに残っていると思うことでかろうじて保つ存在。 本当は何も残ってやしない。すべては忘却されていく。 過去にすがることはできない。過去に支配されることもない。 でも、やはり、人は過去を懐かしむ。歴史を振り返ろうとする。そして何かを確認する。 「現在」だけでは自分の存在を構成できないからだ。ちっぽけだ。 壮大な歴史に身を委ね、ちっぽけな自分が取るに足らないものだと思い知り、なり得ないもの、決してなれないものに憧れ、そして心のどこかで安心している。ただ歴史に身を委ねればいいのだ。何かに身を委ねているとき、人は解放される。自分が侵される恐れのない安全な場所で遊んでいたいと願う。しかし仮にそんな場所があったとしても、そこからはどこにも行けない。もっとも、人はどこかに行かなければならないというわけでもないが。ただ、どこにも行こうとしないなら、それはつまり「死」だと思う。過去においては生きているが、現在においては死んでいる。
俺はロンドン・パリに行き、そこで今までにないものを見聞きするだろう。何かしらの歴史を垣間見るかもしれない。ただ重要なのは、その体験をどのように「いま」にフィードバックできるのか、俺は何を知り、何を確認してその場所から帰ってくるのか、ということだと、俺は思う。たとえロンドン・パリの文化やその土地に流れる歴史に感銘を受けようと、俺は「現代」に生きる人間で、日本に住んでいる。たとえ将来イギリスなりフランスなりの国籍を取得したとしても、俺が生まれ育った土地を日本以外の場所に変えることはできない。「現代」以外に生きることもできない。だから俺には過去の歴史よりも「現代」のほうが大事だ。過去は確認するもの、フィードバックするためのもの。過去は、その名のとおり、通り過ぎていった遺物なのだ。ただ、その遺物は捨て去るにはあまりにも強い光を放ち、俺を惹きつける。そして俺はその遺物からたくさんのものを学んできたし、これからも学ぶことができる。でも、あくまでも俺は「いま」に立っている。
僕がここに確かに存在していたことを忘れないでほしい。 ときどき、僕自身が僕のことを忘れそうになる。 その曖昧になる僕という輪郭をどこかに繋ぎとめようともがいている。 あなたが僕のことを見つけてくれるなら、僕はあなたの中に存在するだろう。 たとえ僕の中に僕が存在していなくても。
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