思い出せるうちに、書いておかねば。 まだ大丈夫だと思うし、そんな備えが無駄になって笑い話になるのならその方がいい。
ただ、私と父とだけの思い出はほかのきょうだいに比べたら多いはずだ。
中学生の頃に同じクラスの人に失言して嫌われ、 「一度吐いた言葉はもう戻せないんだ、馬鹿か」と言って鉄拳制裁された。 反抗期が長く、両親とは喧嘩をすることが多くて父に炬燵に頭を押し付けられて 目の周りがパンダみたいになったことも今となっては笑い話。
推薦入試の時は、遠くまで父に大学までついていってもらった。 受験票を遠く離れた家に置いてきたことに気付き、 慌てて宿までFAXで受験票を送ったこと。 前の日の夜も食欲がなく、受験が終わってからも食欲がなく、 夜に家についてからようやく何か食べようという気になったこと。 大学は結局そこへ受かり、卒業もできた。
母と私が掴み合いの大喧嘩をして母が折れたときには、 「〇〇(母の名前)を良くも泣かせたな」と言って私をボコボコにした。 相当酷い事を言ったので仕方がなかったが、父は本当に容赦がなかった。
母が臨月(姉)の時に当時の日本を揺るがす大事件が近所で起き、 近所だからと夜勤明けに野次馬に行こうとして全力で止められたとか。 今のご時世そんなことしたら世間様から叩かれまくるはずだ。
免許取りたての時に父の車を運転してタイヤをバーストさせてしまったとか、 新しい車で父の車の隣に駐車するときに盛大にこすったとか。
父が料理教室に行って料理を覚えるも、レシピ通りに作るのはできるけど、 冷蔵庫の中身に対応して料理する能力を鍛えられたわけではないので、 母が最初の頃に文句を言っていたが、そのうちこなれてきて、 実家へ帰省するとたまに母監修のもとで父が料理を作ってくれて、 それが結構おいしかったこと。
また思い出したら書き残していこう。
GWは一人で、母や父とドライブをした場所もついでに巡ってきた。 去年の連休に高原でソフトクリーム食べたとか、ダムを見てきたとか、 美しい山々が見える場所へ行ったりとか(山の天気が最悪で見れなかった) 色々と思い出しながら、なるべく人のいる場所で車を降りないようにして、 景色のいい場所を眺めてきた。 ちょっと気分が高ぶって泣いてしまうこともあったけれど、 それも更年期に差し掛かっているので仕方がない事だと思う。 車の運転に差支えがないようにだけはするから、どうか許してほしい。
「残された私達は去っていった人の分まで生きねば」 という文章を目にしたけど、情けないことに今はそうは思えない。
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