| 2002年07月16日(火) |
出来る範囲でやればいい |
休憩時間に友だちをたたき起こして、お家に遊びに行った。 私の最近の近況などを話し、二人でとりあえず笑っておく。 「誰にも話せないって思ってる人は大変だよね」っていう話になる。 詳しく書くと「私は同性が好き、こんなことはいけない!誰にも話せない」って思う人ね。 友だちは高校生の時によくある女子同士のスキンシップを「ラッキー」と思っていたらしく、それを聞いて「あ!私も」って思って。 でもそこで「私そんなこと思うなんて」って思う人は、悩むのだろうね。 と話ていたのですなー お互い、自分の性的指向を楽しんでいてあまり隠すこともなくいるので「他と違う、おかしい、悪いこと」なーんてまったく思ってない人間なのですわな。
実は過去の私の十代を振り返ると「違う・おかしい・悪いこと」って思いこんでいた時期があったのも確かなこと、 いつのまにか、「楽しい・おかしい(笑いの意味で)・私らしい」って思えるようになったんだっけと、戻れない過去の記憶を辿っていきそうになってしまった。 でも、いいや、今が一番楽しくて幸せだから。 「隠す」ことは結構大事で、いって面倒なことになるなら私は隠しますね。
仕事の後に札幌のレインボーマーチの実行委員やってる男の子と前年度のパレードの引継ぎをかねて食事をすることに(去年私は実行委員として参加した) 彼も学業で忙しいそうで、なのに 「死ぬよ、追い詰められるよ、もう終わったらぼろぼろよ」脅してみたら 「怖いこといわないでよ」って言われた 彼の姿をみると、『去年の自分はパレード一色だったな』と懐かしさを憶えてみた。今年も参加するけどね。 彼に 「レズビアンの子とゲイの人たちは別々だよね」と言われた そうなんだよね、今だに私は不思議なんだけど、ゲイとレズの接点を持つことって少ないって。 同じ同性愛者なのにね。 私も女だらけは楽しいけど、それだけじゃ物足りないって思う。 だってさ、この世には色んな人がいてそれぞれの生き方ってものがあって、それは違うからこそおもしろくて、違っていても同じ部分もあって共感できたりして。 違いは壁なんですかね、境界線なんですかね。 そうだとしたら、そんなもの 「ぶっ壊してみたい、飛び越してみたい」と強く思うよ。
違うから、差別が生まれる。 その考えこそが違う、 お互いの違いを、「違う」と認識し受け止めること、そして受け入れること。 同じものにしか目を向けなれないなんて狭すぎるね、人間としてつまんない。
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