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■ スペインに行ったことはないけれど
高校3年間、スペインの人たちに囲まれて生活していたので、なんだかすでに行ったような錯覚をおこします(笑)。
各学年が100人に満たないちんまりした学校で、当時は校歌もなく、聖歌のひとつを代用してました。 校舎の裏手に学寮があり、ここでスペイン人のシスターたちと寝食を共にしておったワケです。
日本語と英語とスペイン語とラテン語が飛び交う校内に神父さまがいらっしゃると、フランス語ドイツ語が加わり、摩訶不思議な世界をかもし出しておりました。
あたしが所属していた聖書研究会は、生徒5〜6人にシスターひとりが専属で付き、3年間みっちり新約を教わります。 それまで「新約」を「新訳」と勘違いしていたボンクラ娘に、
「旧約は神さまとの古い約束、すなわち救い主の降臨の予言を、新約は新しい約束、すなわち降臨後のイエズスさまの奇跡を記したものでース」
と丁寧に解説してくださったのはセリア・シスターでした。
「エスペイン(シスターたちは皆、エスペインと言う)に帰ると、なかなか向こうの作法が戻ってこなくて、このあいだはお茶を飲むときカップの底を片手で支えてママに怒られましタ」
日本のお茶と違い、底を支えるのはせっかちで無作法なんだそうです。
「ワタシの前では連続した音の単語をあまり使わないでくだサイ。何故ならば(becauseの直訳会話ね)エスペインでは恥ずかし言葉が多いからでース。たとえば”ピピ”はオシッコのことでース」
そうと聞いて、もっと恥ずかしい言葉はないのかと詰め寄る、下品な生徒ばっかりでした。
「実家に日本の人からデンワがあると、ママはいっつも皮肉を言いまス。何故ならば、ワタシのスペルは”Celia”ですが、日本の人の発音はたいてい”seria”でス。これは”まじめ”とか”真剣な”といった意味で、オマエはいつからそんないい子になったんダとからかわれるのでス」
ナースでもあったセリア・シスターの説教は、いつも消毒液の香りただよう保健室でした。あたしたちは常に部会にお菓子を持ち込み、シスターのいれてくれる紅茶を飲みながら、説教3割、ムダ話7割の時間を過ごしました。
卒業から何年もして、一度母校を訪ねたことがあります。シスターはまだお元気で、あたしを見るなり
「ワォ、めっずらーしヒトが来ましたネ」
と熱烈に抱きしめてくれました。
「もう忘れられたと思ってました」
あたしが不義理をお詫びすると肩を抱いて自室に招き入れ、お祈り用の聖書をひらいて見せてくれました。そこには当時の聖研メンバーの名前がみんな書いてあり、
「ワタシはあなた方がここを去ったあとも、幸せを願って毎晩お祈りしていまス」
そう言ってにっこり微笑みました。
あたしのものの考え方や感じ方の根幹を作ったのは、あの保健室での3年間だったような気がします。 今でもスパニッシュを耳にすると、なんとも言えない懐かしい記憶が甦るのです。
2006年08月16日(水)
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