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■ BSアニメ夜話『鋼の錬金術師』
はいはいはいはい、今宵を待っておりましたとも、ええ。
なんと、スタッフゲストは脚本の會川昇さんでございました。 結局は、彼の書いた本とのシンパシーが強かったからこそ、最後まで観ることのできたアニメだったなあと、しみじみ感じましたです。 TVで拝見したの初めてでしたが、程よい恰幅と非常に説得力のある落ち着いたお声の方(下手な声優よりいい声だ)で、企画会議に出席した宣伝本部長(笑)みたいでした。
全51話のダイジェストはさぞ難しいだろうと思いきや、極力ネタバレ的な部分を避けつつ、ゲストのおすすめシーン中心に展開していくとゆー手際の良さでしたねー。 以前マンガ夜話で、原作のツボについてかなり言及しましたので、あまり重複しないよう心掛けたのかもしれません。
アニメに関しては、手法も内容も若干語り尽くされた感がありました。けれど、幾人かとの意見交換によるそれこそ「足し算」で、きっと今までにない考えも上手く引き出せたんじゃないかと思います。
ドキュメンタリー作家の森さんが「鋼はメタファー(暗喩)としての機能が強い」とおっしゃったのが、嬉しかったです。あたしもまったく同感ですから。 放送時、一年間に亘って拙い感想を書き続けたのも、物語がどこへたどり着こうとしているのか見極めたかったのと同時に、今、自分のいる世界との読み替えを絶えず試みようとした結果でした。
「テーマを言葉で語るのは野暮であり、物語としては失敗だ。しかし、土曜の夕方6時というゴールデンな時間帯、しかも視聴者の多くは若年層という状況にあって、敢えて言葉にする必要性をぶつけてみようと思った」
會川さんのその思いが結実した第48話『さようなら』での、エドと大佐の車中の会話は、その内容もさることながら、絵的な処理を安易な方法へ逃げることなく、ずっとふたりにカメラの焦点を絞った勇気(そうだ、勇気だ)があったからこそ、いつまでも観る者の胸を刺すのです。
「ニーナのエピソードは、スタッフの今後への決意表明」
と言ったのは、オタキング岡田さん。この犠牲への借りを――錬金術のもつ闇の部分に対する答えを――最終回までに必ず返すという意気込みが、本当に第50話『死』に収斂したことに感銘を受けた……彼の意見はいつも作り手と受け手の両側面をもっていて興味深いのですが、諸手を上げてベタ誉めでした。ついでに、
「脚本的に愛はないけど、作画的にものすごい萌えキャラ扱いのウィンリィに一票!」
というのも大爆笑。 んー、あたしもアニメのウィンリィの扱いが意図的にクールだったことに違和感を感じてはいました。それが、
「アニメ企画をスタートさせた時点で、原作(単行本)ではまだウィンリィがほとんど登場してなかった。でもOPに出てるんだしヒロインなんだろーなーと思って、どうしたらいいのよと困っていたのも事実」
という會川さんのお話で納得がいきました。
「エドたちにとって彼女は故郷リゼンブールの象徴であり、帰るべき場所でもある。しかし、もしかするとそうはならないかもしれない」
……なりませんでしたねー。劇場版で、よもやあそこまでハッキリ引導わたされるとは思わなかったもん(^_^;) さらには、
「脚本的に、キャラは使い勝手のよさが大事」
ええ、ええ、そのとーりでございます。愛がないワケじゃないのよね。要は主人公との立ち位置の距離なのです。 その点で、アニメは大佐(=軍部)とスカー(=被差別民族)との関わりや対比を特に強調していたのでしょう。エドから「自分たちに関係ない戦争なんてない」という究極のセリフを引っ張り出すために。
あああ〜1時間ぽっちじゃアニ鋼の魅力を語るには不十分だよう! でも、この「消化不良」もまた、スタッフその他の仕掛けみたいですから、あたしたちも甘んじて受けることにいたしましょう。
長々のレビューにおつきあい下さり、ありがとうございました!
2006年08月10日(木)
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