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■ たとえば余命一年として
あたしは何をするだろう――あふれかえる書棚の整理をしながらふと考える。 かなり個人主義(というかわがまま)な人間なので、あまり家族のこととか気にしていない。生きとし生けるもの、いつかはすべからく死ぬのであって、彼らも適当に感情と生活に折り合いをつけ、その後の人生を行くだろう。 だから自分のことだけで、残り一年をどう過ごすか。 それはやはり、目の前の本の山をひとつずつやっつけるのに費やされるはずだ。あろうことか未読本が100冊単位の我が蔵書、読まずに死ねるかなのである。
大方の場合、本は一度読んだらそれでおしまいだ。再読率はひじょうに低い。特にベストセラー、ロングセラーはいつでも買い直し可能なので未練なくドカドカ処分してしまう。最近はラノベ、マンガの類も同様で、読んだら処分の方針をとっている。TVアニメも録画したビデオを見直すことがほとんどなくなったので、これも平気で捨ててしまう。
それでも書棚があふれかえるのは何故か。すなわち「資料」と称するモノがあまりに多すぎるためである。 絵を描くにも想像で補うには限界があり、そのときハマったジャンルのため戦闘爆撃機からイングリッシュ・カトラリーに至るまで、ありとあらゆる写真・絵画が集められる。 文章を書くときも、たった一行登場する実在の人物のため自伝・評伝をあたることがしばしばある。 そして個人の趣味は変化が少ないので、物語の世界設定に必要な資料は数十年に亘って保管を余儀なくされるのだ。ちなみに薔薇の品種について書かれた専門書や、父から引き継いだロケット関連書は30年以上持ち歩いている。
あたしは無知無学無教養なため、インテリジェンスなテイストにとことん弱い。逆にそれらがトリガーになって、好奇心丸出しの猫みたいなところもある。とにかく「知らないことを知りたい」それだけで今までの人生を歩んできた。なにがしかの残滓は、それらがもたらした老廃物にも似ている。
遠く、ドミニカの空の下から届いた友人のエアメイルには 「元気にインプット、アウトプットしてますか?」 と書かれてあった。 きっと汀の枕元には、新旧取り混ぜた本が山のように積まれているだろう。 棺といっしょに、書棚も燃やしてもらおうかな。
2006年04月24日(月)
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