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■ 離婚はどんなことがあっても男が悪い
今日の「徹子の部屋」ゲストはピアニスト江戸京子だった。 桐朋音楽科を経て仏政府後援学生としてパリ・コンセルヴァトワールに留学。卒業後欧米各国で演奏活動を行った。現在は演奏家の第一線を退き、音楽財団理事長として多数の文化支援活動を通し、若手の育成・音楽芸術の普及と向上に務めている。
さてここで少し昔話にお付き合いいただこう。 戦後間もない1948年「小さい頃から基礎的な教育を受けた音楽家を育てる」ことを目標として、チェリスト斉藤秀雄、ピアニスト井口基成、評論家吉田秀和らが中心となり『子供のための音楽教室』がスタートした。集まった30名の子供たちは4〜5歳、楽器を弾いたこともない子がほとんどだったという。
この教室の生徒たちが中学卒業を迎える時期になり、新たに音楽学校を設立する必要に迫られた。このとき父兄のひとりだった江戸英雄氏(京子の父。元三井不動産会長)は普通科の桐朋女子高に「男女共学の音楽科」を併設させ、新しい私立の音楽学校を誕生させた。 こうして音楽教室、桐朋音楽科を経て世界へ羽ばたいた生徒は数多にのぼり、現在のサイトウ・キネン・オーケストラに繋がっている。
桐朋音楽科第一期生には世界的指揮者・小澤征爾がいる。 江戸氏はこの若き才能の持ち主に対し、経済的なバックアップと同時にヴァニティーフェアで通用する紳士教育を施したとも言われている。そして彼の最初の妻が長女の江戸京子であった。二人は小澤が経済的に厳しかった時代に結婚生活を送り、短い期間でそれは破綻を迎えた。 すでに指揮者としての実力を国内外で認知されていた小澤は、離婚に際しジャーナリズムの攻勢を予想して家族に緘口令を敷いた。 「離婚はどんなことがあっても男が悪い。京子の悪口など一切言ってくれるな」 その後も小澤と江戸氏は終生実の親子のような深い交わりを続けたという。
1997年、94歳で江戸氏は亡くなり、のち開かれた追悼コンサートに遠くボストンから小澤はこんな弔辞を寄せた。 「実の父親、義父、義母を亡くした私にとって、江戸さんは生き残ってくれていたオヤジでした。家族を愛し、芸術家を尊敬し、土が好きな江戸さんは稀に見る男の中の男でした。江戸のオヤジさん、さようなら」
アーティストとメセナの理想的調和が具現化した、美しい物語だと思う。
■参考文献 中丸美繪「喜遊曲、鳴りやまず 斉藤秀雄の生涯」(新潮社) 河野俊達・別宮貞徳「焼け跡にバッハが聞こえる」(ヤマハ) 小澤幹雄「音楽の庭」(NECクリエイティブ) 「小澤征爾大研究」(春秋社)
2004年07月21日(水)
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