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■ 少女向け小説
日本では1970年代の「赤毛のアン」「大草原の小さな家」「ローラ・アシュレイ」三位一体で、アーリー・アメリカン・カントリーへの憧れが決定付けられたように思う。今流行りのシルバニアなんとやらのコンセプトも、この傾向を引きずった母親世代(事実上の購買層)を射程範囲に入れてのことだろう。 かわいい柄のコットンファブリック、レースをあしらった清楚なファッション、田舎暮らしの日常を彩る様々な雑貨、ゆっくり流れる時間、素朴で愛溢れる人々…カントリーの内包するイメージは明治大正におけるお嬢さま的情緒と共通する部分も多いように感じる。
海外発少女向け小説の筆頭と言えばやはり「赤毛のアン」になるだろうか。面白いことに「赤毛のアンシリーズが私のバイブル」と言ってた友人は皆、20代前半で結婚し家庭に収まって良妻賢母している。 他にも「若草物語」「あしながおじさん」「小公子」「小公女」「秘密の花園」など少女の夢をかきたてる作品は多い。ちなみに管理人の名前も、若草物語四姉妹の末娘にあやかってつけられたそーである(母のシュミ)。
最近話題の「マリア様が見てる」シリーズは、昔で言う女学校のエスっぽさが残る作品であるらしい。この筋の大御所といえば吉屋信子、川端康成が挙げられるだろう。女学校卒業と同時に親の決めた縁談での結婚が待っている女性に与えられたごく短い「少女」という幻の猶予期間に、当時考えられる限界ぎりぎりまで想像をはばたかせた作品は少女たちの熱狂をもって迎えられた。
海外・国内の作品を比較してみると、主人公の少女たちはどちらも厳格なモラルに縛られてはいるが、心理的解放の先にあるのが海外では「社会的自立や男性との恋愛」であるのに対し、日本では「同級生あるいは憧れのお姉さまとの心の交流」であることが興味深い。 それぞれの社会を支配する思想・宗教の違いもあるだろうし、一般の女流作家はこぞってフェミニズム的作品を書いてもいる。しかし日本の少女向け小説は何故か男女の恋愛を忌避する傾向があるように思う。自分の女性性に対する嫌悪感がそうさせるのだという説は、大人でも子供でもない無色透明な少女の心理をそれなりに表しているのかもしれない。
あたしは、自分が少女であること以上に少女的なものを求める行為を浅ましいと思うようなヘソ曲がりであった。自分の少女的部分を中和・相殺してしまうものばかり欲していたように思う。それが少女的なものへの憧れの裏返しだと大人になってから気付いたが、もう少女の時間は取り戻せない。 そんな、硬質で冷たいフィルタに覆われた不発弾のような情熱を抱えたまま、今日も仮想世界を徘徊するのだ。
2004年03月10日(水)
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