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■ わざわざ声に出すまでもなく
美しいと思うけど、日本語。 ブームの火付け役もその後の二匹目のドジョウも読んでないので、内容についてあーだこーだ言うつもりはない。
この頃新聞や雑誌のコラムなどで盛んに取り上げられる「ヘンな日本語」。 あちこちで槍玉にあがったのは「ご注文の方(ほう)、お決まりでしょうか」等での「方」。言われてみればホントによく聞く言い回しである。あっさり「ご注文はお決まりでしょうか」でいいじゃないかという意見に対し、これは丁寧語なのだという。つまり「方」の一言でワンクッション置き、表現を和らげる効果があるんだとか。
もうひとつ最近多いのは、質問された際の応答第一声「そうですね、それはこうこう…」である。TVのインタビュー等で頻繁に聞かれる「そうですね」、もう完全に枕詞状態なのか一度気になりだすと、キリがない。 これとお対で「〜じゃないですか」もよく聞く。オメーに念押しされる筋合いねーよ#とむかっ腹が立つ。
「感動の鳥肌」という本来そぐわない組み合わせもある。「鳥肌」は不快感を表す言葉なので「感動」には合わない。「感動の粟肌」が正解だ、というものだ。 しかしこちらについては天下のNHKですら、曖昧な部分がある。それは「可能性」という言葉の取り扱いだ。
「可能性」と聞いて普通どんなイメージを想像するだろうか。 未来への可能性、合格の可能性、勝利の可能性…大抵はプラス・イメージだと思う。では「大地震の起こる可能性」はどうか。 可能性そのものは蓋然性をさす言葉なので、上記の表現は間違いではない。けれど言葉のもつイメージからすれば、ここは是非とも「大地震の起こる危険性」としてもらいたいところである。
ある作家がSMAPの「夜空ノ向コウ」をカラオケで歌うことで「ら」抜き言葉への抵抗感が以前より薄れたと書いていた。 人気狂言師は、同じ意味合いをもつ言葉が統廃合されていく様子を「愚かなこと」と苦々しく語っていた。 オペラ歌手は「時代にそぐわない」という理由で学校の音楽の教科書から文語体の歌詞がどんどん消えてゆく危機感を訴えていた。
元手もなにも必要ない、ただ使う側が選ぶだけで最高の贅沢ができる――言葉。 何事も貧乏は嫌だよな、うん。
2003年10月29日(水)
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