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■ 宮澤賢治の思い出
掲示板で名前がでたのでちょっと懐かしくなったり。
子供の頃は随分と引越しが多かったですが、幸い小中学校のあいだ転校は一度だけでした。小2の夏休み前引越しが決まったあたしに、担任の先生がくださったのが「風の又三郎」でした。
入居した社宅は今までになく大きな平屋建で、庭の池には鯉が悠々と泳いでいました。夏休み中遊び相手もおらず親は挨拶や片付けに忙しく、仕方なくいただいた本を読み始めました…が、難しい。今まで読んでたものより内容が格段に難しかったのです。
途中でほっぽりだしたまま二学期を迎え、新しい学校に編入しまず驚いたのは「言葉がわからない!」でした。 イントネーションも語彙も違う。早口だとなにを言ってるんだか全然わからない。こちらがしゃべると「オマエの言葉は変じゃ」と指差して笑われからかわれる。 今まで当たり前と思っていたことが通用しない、自己弁護しようにも口が開けない、味方が誰もいない――さしもの能天気なあたしもすっかり精神的に参ってしまい、ズル休みを決行することにしました。
とはいえ親も状況はちゃんとわかっていたのです。わかっていて、でもズルを見逃してくれました。毎日帰ってくるたび、ランドセル放り投げて前の学校に戻りたいとわあわあ泣いてましたから。こちらもウソをついたのがうしろめたく、本でも読んでおとなしくしてようと例の「風の又三郎」を手に取りました。 ――読み終わって布団の中でボロ泣きしました。高田三郎はあたしの分身でした。本気で又三郎になりたいと思いました。
二学期なかば先生から届いた手紙に「あなたの行ったU市があまりに九州に近くて驚きました。こんな遠いところへ行ってしまったのね。本はどうでしたか?少しむずかしいけど、じきに読みこなせると思います」と美しい文字で書かれてありました。 その頃にはカルチャーパニックも収まり、少しずつ友達も増え、そこそこ方言も使いこなせる(?)ようになりどんどん前の学校のことを忘れていきました。健康な子供には過去より現在未来の方が大切なのです。
果たして先生が転校生となるあたしを想定してこの本を選んだのか、単に名作だからという視点だけだったのか、今はもうわかりません。 それからも折りにつけ賢治の作品に触れてきました。言い尽くせない感があります。ただ、賢治と共にあった子供時代が今の自分の中核であることは間違いありません。読書は確かに「人」を創るのです。
2003年07月01日(火)
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