雨のち晴れ...scbellen engel
ワタシの足跡 - 2006年07月19日(水)



相変わらず、おさぼり街道まっしぐらでございます(おいっ)


さて。

今日は突然ですが自分について書いてみようかナ…という感じ。


ワタシという人には、父違いの姉が二人います。
一人とは面識すらありません。
もう一人の姉は、過去の日記でも何度か登場してるので
どんな人物かは、あえてここでは書きません。

小学校の頃から両親の離婚問題で、ずっともみくちゃにされていました。
実の父に性的虐待を受けた事もあります。
また、異父姉妹の姉一人はワタシの父に私と同じようなめにあった事もあるらしいです。
そんな話も中学の頃でしょうか?
母から聞かされました。
自分の父親がそういったことをした事を聞かされたワタシのキモチ。
母はどう感じていたんだろう?
ワタシモオナジコトサレタンダヨ…そう心の中でつぶやく( ´-`)ワタシに
何も感じなかったんだろうか?
そんな母に「生むはずじゃなかった」と言われた事もあったっけ。

両親の苦労も物心ついた頃から、色々見てきました。
そんな中で、親戚との関係もどんどん崩れていくのも見てきました。
(なんで、こんなに仲が悪いんだろう?)
小学校の頃から、ずっと疑問で悲しくて誰にも言えなくて。
それでもワタシは、親に逆らう事すらできずに17才まで生きてきました。
17才の時。初めて両親に反発したのを覚えています。

「あんたの為に20才までは離婚しない」そう言われ

「ふざけんな!!ずっと2年に一回くらいのわりで、
離婚したらどっちにつくと言われ続けてきたワタシの気持ちがわかる?!
どっちも選べない、選びたくない、離婚なんてしてほしくない、
そう思ってきたワタシの気持ちは考えたことある?
あんたの為、あんたの為って言われてきて仲も良くないのに
一緒にいられるほうが どんだけ嫌かわかる?」


その後20才の時、両親は離婚。
そしてワタシには、結婚という新たな生活も始まりました。
結果として、ワタシのその生活も終止符を迎えた今があるわけですがwww

いろんな事がありました。
人間不信にもなりました。
未だに、消極的で考え過ぎでっていう性格も変わりません。
何よりも、自分の新たな生活に終止符が打たれた直後に
ジュニアが腎臓病を発症したのが辛かった。
そしてそのジュニアの病院に仕事後に毎日通う日々の中で
もう一人のジュニアに我慢を強いらざるを得ない生活も辛かった。

そんな中、自分の中が壊れていくのを感じ
パソコンを購入してインターネットという世界で自分の症状を探す日々。
結果として、今でこそ誰もが知っている心療内科というとこに通うことを決心した自分。
そこで言われた自分の精神年齢。17才。
人は自分が一番苦しかった時期で精神年齢が止まってしまう事があることを
知りました。
今でこそ、思う事はあってもしなくなったリスカ。
これも普通ならやり始めてから、クリニックに通う人がほとんどというところ
ワタシの場合、通い始めてからやったというパターンでした。
それは、家族療法もしくは入院という治療法を
家族に受け入れてもらえなかったからだと思います。
自分さえいなければ、ジュニア達がこんなめにあう事もなかった
自分さえいなければ、母が苦しむ事もなかった
自分に流れる血は汚い(・ё・)…
そんなふうに思った時、そういう方法がある事を知り実行したわけです。
一番最初は死にたかったという思い。
その後は、死にたいのではなく 汚い血を流す事で自分が少し安心できたという思い。
それこそ、死に関する本は色々読んだりもしました。
同じような病の人の本も。

そんな時間が流れ、従兄弟の兄に再会し救われ…。

しかしそれも悲しみに変わり。
(意味不明な方は、03年7月の日記を参照下さい)

兄の後をどれだけ追おうとした事かしれません。

ネットで知り合った仲間や現実の友達が逝ってしまった事も
ワタシには耐えるだけの力は残されていませんでした。


でも。


ワタシは今、まだこうして生きていて。
それは何故だろう?と考えてみたら
今日まで働いてきた数々の職場で出会った人達やネットを通して繋がった人達
今、人生の先輩が沢山いる職場にいて。
尊敬する先輩がいて。

見守ってくれてることが、生きていられる一つの力になっているような気がします。
それこそ、本来ならワタシのほうが上なんだから…っていう年の人もいて
でも、そんな人達もワタシの事を快く受け入れてくれて。

今の職場に尊敬する先輩が3人います。
もちろん、他の方もいろんな人生を送られてきて今があってというのは分かっています。
ただ、ワタシの視点からいうと生意気ですが
これは違う((-ω-。)(。-ω-))フルフル という生き方の方もいるわけで。
病を抱えながらも、日々懸命に生きる先輩。
沢山の苦労を伴いながらも、笑顔で生きる先輩。
苦労があるはずなのに、人の気持ちを和らげる空気を作る先輩。

人は皆、楽しい事ばかりの人生ではないと思うし
むしろ、辛い事や悲しい事のが多い人生なのかもしれないと思います。
でも、ある本で読みました。
ワタシは新興宗教家ではないけれど、その言葉は素直に染みたんです。


神様は超えられないハードルは
その人には与えない



例えば、どうしても無理だと自ら命を終えてしまったとしましょう。
そうすると、自然の法則として
後の代の人に、その試練が与えられてしまうそうなんですね。
そうすると、その代の人にはその代の人なりに与えられた試練に
更に試練が増えてしまうことになるらしく…。
そして自ら命を終えてしまった人は、その重みに気付くまでは
暗闇を何年でも彷徨う事になるらしいのです。
どちらも、悲しく辛い道を歩む事になりますよね。
ならば、生きて自らに与えられたハードルは自分で超えるしかないんだなって思うわけです。
病気一つにしても、諦めてしまうか生きようと踏ん張るか。
そこで、その人自身の力が試される事になるらしいです。

人って、けして強い生き物ではないし
こんな事を書いているワタシなんかは、ぜっんぜん強さのカケラもないけど
やっぱり、人に触れる事で生かされてる事だけは確かかなと思います。

沢山の問題は抱えたままで、これからの道なんて見えないけれど
親を憎むキモチすらなく、誰かを心底嫌うキモチもなく
苦手はあっても もう少し…もう少し…
自分ごまかしながらも、歩けるかななんてキモチもあります。


何が書きたかったんだか分からないけど(; ̄ー ̄A アセ
何故、今これを書こうと思ったかも分からないけど
なんとなく、ワタシという人間の足跡を少し書いてみました。






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