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■ Birthday Eve−Thank u 4 my family−
今日はバースデイ・イヴ。 Mさん家から帰って、メールを開くと 父からメールが来ていた。
どうやら、学校からメールを送ったらしい。 私の誕生日、2月11日は≪建国記念日≫に当る。 学校も休みだし、きっと電話するタイミングも 時差があるから掴みづらいと思ったのだろう。 こっちは、勿論休みじゃないしね。
私の家は4人家族で、父は学校の教員をしている。 当日に電話でもしようかと思っていた私は 不意を突かれたメールに驚きながらも 嬉しくて直ぐに開けた。
題名は、【二十歳の誕生日を祝って】
『誕生日おめでとう。 二十歳になった感想はいかがですか。 例年なら家族4人でお祝いをしていましたが、 今年は4人でお祝いをする事が出来ません。 今年は、私が代表してお祝いの言葉をメールで送ります。 二十歳」、それは大人になるということと 同時に責任を持つということです。 生まれた時は小さくて、1歳過ぎて保育園に預け、 そして1カ月近く入院をしたりしたUkiが もう二十歳かと思うと月日のたつのは早いものだと つくづく感じます。 親としてUkiに対して、十分なことをしただろうか と考えてみると、はっきりした答えは出ないかもしれません。 しかし、はっきり言える事は、 私もママも仕事を持ちながら子育てを 精一杯努力をしたつもりです。 Ukiは、自ら留学といういばらの道を選んだわけですが、 これからは自分の責任で目的を達成するように 努力をして下さい。 私は、今までは何事に対しても厳しく、 何かと注文をつけてきましたが、 それはUkiが子供だったからです。 当然、私やママは親として責任を持たなければ ならないからです。 でも、これからは自分のことは自分で考えて行動し、 責任が持てるような人間になって下さい。 Ukiがやりたいことに対して、 私たちは物資両面共(経済的な事等)精一杯応援をします。 33年前、私が高校を卒業する時、 私は父に「財産はいらないから大学に行かせてくれ」と 説得して経済的に苦しい家計の中から 大学に行かせてもらいました。 それは教員になりたいと言う夢があったからです。 Ukiも夢を抱いてアメリカに行ったのだと思います。 夢が実現するように一生懸命努力して下さい。 健康に気をつけ、自分の体を大事にして頑張ってください。
父より』
これを読み終わる頃には、私の顔は涙でぐちゃぐちゃに なっていた。 両親には今まで、沢山我が儘もして、 何度も意見がぶつかり合い、 理解出来ない!!と何度も背を向けたりしていた。
でも、留学する時も留学してからも いつも両親は、父は、私を心配し一番理解しようと してくれていた。
私も自分が泣くなんて思ってなかった、勿論。笑
でも毎年、家族で誕生日を祝うのが 当たり前の様に思っていた私にとって、 この節目でもある20歳の誕生日に家族と過ごせない事が、 意外に大きく私の中で引っかかっていたのも確か。 普段は、寂しいなんて余り思わないのに 本当は誰よりも寂しかったのも確か。
そして、何よりも普段は多くを語る事の無い父が こんな風に沢山の言葉で私の誕生日を祝ってくれた事が すごく嬉しくて、本当に嬉しかった。
離れてみなければ自分がどれだけ幸せか分かんないって 言うけど、私は本当にそれはそう思う。 こんな言い方って可笑しいのかも知れない。 でも、私はこの父からのメールが とても、とても嬉しくて。 『家族』と言うものが、どれだけ自分の中に 関わっていたかを改めて見つめる事が出来た。
それは、すごく心強くて これからの心の励みにもなると思う。 何だか、安っぽい言葉しか思いつかない私の文才の無さに うな垂れてしまうけど、 今の私の最大限の言葉で改めて家族に言いたい。
『私の世界で一番大好きな二人へ。
私を生んでくれてありがとう。 そして、ここまで育ててくれてありがとう。 本当に本当に感謝しています。 二人の子供で本当に良かった。 二人の子供として生まれて来れて本当に嬉しい。 これからもよろしく。 これからもよろしく。 これからも健康で長生きしてね。』
2002年02月10日(日)
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