フライングペンギンダイアリー
夏心からり



   六月上旬にして敗北

 あまりの暑さに耐えかねて、ついにクーラーをつけてしまいました。
 お風呂あがりに、つい。
 誰も見ていないのに、「負けた」と思ってしまうのはなんででしょう?
 でもすごく敗北感があるんです、六月の初めに冷房。ああ。

 かなりどうでもいいですけど、「お風呂あがり」を「アフロあがり」と打ち間違えてしまって、一人で爆笑。
 どっちかと言うと、アフロあがりは涼しそうですよね。

 ◇◆◇

 ちょっと思い出したので、昔の話でも。
 私がはじめて書いた小説は、小学生のころ文集用に書いた短い話だと思います。
 文集はいくつか作ったのですが、その中に自分で物語を書きましょう、という企画があったのです。
 なにぶん幼いですから、私はそのころ見ていたアニメ「ニルスの不思議な旅」やら「ルドルフとイッパイアッテナ」やらにモロ影響を受けた、動物ものを書いていました。
 登場人物は自分とその友達数人で構成されていて、名前もそのままか、ほんのちょっともじった程度のものでした。
 他の友達も同じような話を書いてました。
 女の子は動物ものが多くて、男の子だったらゲームとか戦隊ものとかドラゴンボールとかに似た話を書いていましたね。
 面白かったのは、作品を読めばその子の友達事情が分かる代物だったこと。
 登場人物は仲の良い子ばかりで、物語の中で特別な扱いを受けていたからです。 もちろんその逆もありました。仲の悪い子が悪役として登場する場合もありまったのです。
 でも皆が皆そんな感じの話を書いていたので、そのことについては問題は起こりませんでした。

 あの頃は、物語の主人公が自分そのものでした。
 なんでも自分の思い通りにできるのが嬉しくて、かなり長い話を書いたのを覚えています。
 だから、最初から最後まで自分の好きなように書けさえすれば満足だったのです。
 それを読んだ人がどう思うかなんて、深く考えませんでした。
 頭の中で物語を考えて、それを書いて形にするのが楽しかったのです。
 自分が楽しいから書く。それだけでした。

 その考えがいつ変わったのか、覚えていません。
 でも今では、自分だけが楽しければいいやとは思わなくなりました。
 もちろん自分が書いていて楽しいのは大前提ですが、それだけのものは書きたいとは思いません。
 今では主人公が自分自身という話は全く書いていませんし、これからも書く予定はありません。
 それが良いことなのか悪いことなのかはちょっと分かりませんが、誰でも見れるネット上に自分の作品を置いているわけですから、自分はこの考えでやっていけばいいかなと思ってます。

 でも、自分の経験や感じたことを流用したり、自分なりの価値観をを話の中に投影することはよくあるので、考えが変わったと言っても、根っこは同じなのかもしれませんね。


2004年06月06日(日)
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