ムッキーの初老日記
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「松山やああ松山や松山天や」の最終回です。
今回会場に、まだチーちゃまに鬱陶しいほどの髪の毛があった時代 アレンジャーをしていたという男性が来ていました。
「アレンジャーってのは、簡単に言うと曲のイントロや間奏を考えたり ギターで行くのかピアノで行くのかとか考える役目のことなんだけどさ この○○がアレンジャーだった頃は、売れたなあ・・・。 例えば銀の雨とかよ、旅立ちとか、俺の昔の曲はだいたいこの○○のアレンジだよ」
確かに初期のチーちゃまの曲には、イントロがとても印象的なものが多い。 イントロを聴いただけで、何かこみ上げてくるものがある。
「今日はホントは曲目に入ってないんだけどさ ○○が来てるから特別に『銀の雨』を歌うから。 お前ら他でペラペラしゃべるんじゃないよ! どうして水戸で歌ったのに△では歌ってくれないんですかー?なんて 言われちゃうんだからよ、頼むよお前たち」
言わないわけないじゃない・・・( ・∇・)・・・ふふ。
今は別のお仕事をされてる元チーちゃまのアレンジャー○○さん。 同じ茨城県にそんな方がいらっしゃるとは、なんだか嬉しくなりました。
それと、会場に遺影を抱いた年配の女性が来ていて それに気づいたチーちゃまが「それは誰?」と聞くと
「娘です。娘はもう20年以上、ずっとずっとあなたのファンでした」
と答えていました。 実は入り待ちの時、その女性も側にいて、偶然遺影を近くで見たのですが まだ多分40代後半ぐらいではと思える笑顔の女性の遺影。 それを持って、娘の好きだった千春を見に来た母。 少し足のお悪いお母さんを気遣う、多分娘さんの「千春仲間」だった女性たち。
「そうか。まあな、ほんとだったらよ、そこ(遺影)におさまるのは なあ、お母さんじゃないといかんよな」
毒舌に感じる人もいるかも知れないけど、違うんだ。
「順番から行ったら、そうじゃないとやりきれんよな。 でもな、ホントはね、本当は、もし出来るんなら 子供の人生が終わるときまで見守っててやりたいってのが親の本音よ。 いくつになっても子供は子供で、心配なんだよ。 だから、子供が年取って、死ぬまで、見ててやりたいの。 親のほうが年上だからな、それは無理なんだけどさ。 なあ、お母さん。」
逆縁になってしまったけど、最後まで見守れたことはよかったねと 言いたかったのかなと思う。よかったねって、言葉は変だけど。 そして、「生命(いのち)」って歌を歌ってくれた。
この子の人生を 見届けられるなら 最後まで 見守って やりたいと思うね
チーちゃまの「父」の一面を見れる歌です。 涙が出ました。しみました。
今回も素晴らしいコンサートをありがとうチーちゃま。 また春に会えることを楽しみにしています。
+・+・+ コーカサス地方では有名なオッサン君+・+・+
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ムッキー
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